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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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気がつけば

takanabe2001-06-05



気がつけば6月です。寝汗で目が覚める暑さはどうにかならんものか(32度)。初めて行った床屋のラジオで元スピードの女の子が「2001年ももう半分終わっちゃいましたね」とか言っていたけど、それは嘘だろう。でも一日が過ぎていくスピードは大人になるにつれ、やっぱりどんどん加速していくようだね。


会社でしばらくお休みをいただきまして、引っ越しまわりの事務処理やら後片付けやら設備関係の買い物なんかをだだだーっと済ませた。お茶碗は原宿のZAKKAという地下の小さなお店で3000円のを2個買ったよ。ご飯がおいしそうに見えるのでお気に入りです。あと一緒にすんげえキュートな鍋つかみを買った。この布切れで1500円!うはは! でもあまりにキュートすぎるので即決です。そうです。美の神は細部に宿るのです。なんとなく言ってみたかっただけ。


パンを焼くトースターを買いました。これがびっくり。僕が前に使っていたやつはダイヤルを大体「5」のところに合わせて1枚目を焼くと、2枚目は余熱で「3」ぐらいのところで焼けたわけだけれども、新しいトースターはいきなり「2」で焼けちゃう。それだけでなく、トースターの中がほんの数秒で真っ赤になります。余熱要らずなんだって。助走なしで走り高飛びされてるみたいな衝撃。それはともかくパンを焼いている間にコーヒーのお湯を沸かしたり、卵を焼いていた僕のあの時間はどこへ行ってしまうのよ、と思った。長年当り前だって思っていたことをコロっと変えられるとそれが便利かどうかさえ分からなくなる。特に習慣化した動作の一部を変えられるってことはなかなか柔軟に対応できないもんですね。テクノロジーの進化の過程の中でトイレの紙が要らなくなったり、ページをめくる必要のない新聞なんかが現れたら、僕はそれを便利と感じられるだろうか、とかそういうことをちょっと思った。


映画「メトロポリス」を見まして、これがひどかった。あれが最高に好きな人には失礼なんで短めにいきますけど、僕が期待した点


手塚治虫の世界観(未来観)を21世紀の表現力で忠実に再現
・本当は手塚治虫のことを大嫌いな大友克洋が「手塚治虫」という大きな素材をどう料理した(過去の未来観を21世紀の今日、どう陳腐化させないか)
・CGとアニメの融合と言うけど、実際のところ今までの表現とどう違うの?


という3点にはまったく返答がなかった。始まって5分ぐらいで、あ、これは僕が見たかった映画と違う!と思ってしまってそーとーがっくり。その後は少しでもがんばっていいとこ探しを始めたんだけど、どうにもならなかった。一番感じたのはこれはりんたろう大友克洋が自分の好きな表現(未来のガジェットや、複雑なパースペクティブ、群集シーン、都市の破壊など)を贅沢な環境で実験したいために、「手塚治虫」と「21世紀」という魔法の言葉を使っていろんな人からお金を集めただけって話しなのでは?という疑念だ。作りは豪華なのに少しも感情が揺れないのはそのせい。唯一よかったのはキャラクターデザインが初期の手塚治虫を上手に料理していて、線に色気を感じられたことだけど、豊富な登場人物の誰一人にも感情移入させない脚本は一体何がしたかったのか意味不明です。僕の価値ある休日を返して欲しいと思った。予告編の「ハムナプトラ2」の方が見たい!って気にさせたよ。宮崎駿の「千と千尋の神隠し」もかなりゾクゾク来る予告編でした。


次回は10年ぶりぐらいにディズニーランドに行った話しと下北沢の松崎ナオライブのことを書くよ。