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CD「虹盤」松崎ナオ

takanabe2001-05-09

虹盤
虹盤
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松崎ナオ
エピックレコードジャパン (2001-04-25)
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松崎ナオの「虹盤」を毎日聴いてる。うーん、待っただけあってかなりいい感じ。セカンドアルバムだとばかり思っていたらサードアルバムだそうだ。最初のミニアルバム「風の唄」をファースト、フルアルバム「正直な人」をセカンドと数えるんだって。2年半のインターバルを経て届いた本作はその前2枚と大きく色合いが異なる作品になった。


タイトルを初めて聴いた時「?」と思った。「にじばん」って? ただ「虹」じゃいけないのか? 「盤」ってディスクのことでしょう? CDって虹みたいにキラキラしてるねってこと? 何でそんなことをタイトルで説明しないといけないの? いろいろな意味に捉えられるということは、実は最初から大した意味がないことでもある。本人の弁によれば「人工で作る虹が自分の中ですごいブームで、2年半の時間の中で作ったこのアルバムは2年半のベストアルバムでもあるから、今一番大事だと思える虹とくっつけただけ」。そう、意味なんかないのだ。ただこの瞬間に好きなものが詰まったディスクってだけ。


ところがここで深読みが始まる。このアルバムの制作には数え切れないリテイクがあったという。それを断ち切った曲がこのアルバムのキーとなっている先行シングル「月と細胞」だ。この曲の完成によって、このアルバムの目指すべきところがやっと定まったんだそうな。深読みと言うのはこの曲の詞に現れる「月」の存在と、アルバムのタイトル「虹」との関係。どちらも自分自身で輝くのではなく、太陽の光によって照らされ、僕らの目に届いているものだと言うこと。それも「虹」については霧吹きやホースで水をまいて意識的に作る人工の虹のみを好きだとさえ口にしている。「月」のように、ただ奇跡や相手によって輝く時期を待つ受動態ではなく、能動的な小さなミラクル発生装置を自分の中に持つ姿勢とでも言いましょうか。このアルバムにはそういう「何かを待っていた自分」から、「それに向かっていく自分」への変遷が見事に並んでいるアルバムになっているのです。


前2作のアルバムを音楽好きな友人なんかに聴かせて回ると、大抵返ってくるコトバは「うーん、悪くないんだけど、ちょっと暗すぎ」と言うような感じだった。ムカツクけど正論だなと思います。確かに、イメージで言うと人気のない夜の部屋の中でじっと考えて、思いを巡らせているような曲が多い。タイトルも「電球」とか「白いよ。」とか「ココロのオト」とか「哀しみが止まらない」とかね。静寂と濃密な闇の感じ。いい悪いは抜きにして、明るい感じはしないよね。でも今回は並んでいるタイトルだけでも「パピコ」「あしたに花」「花魁」「オドレオルガ」など、なんかちょっと前のナオちゃんからは想像が付かない心境の変化を感じる。簡単に言うと日向に向かっているっぽい気がする。ずばり「光が生まれる日まで」なんて曲もあるしね。


全12曲の中で前半のバラエティに富んだ構成は、目の裏側がチカチカするほど鮮烈でシンプルな美しさに溢れている。まるで歌謡曲のような強く覚えやすいメロディと、それを破壊寸前のバランスで引き立たせる強烈なアレンジ。それでいてバンドアレンジも実現してんのね。そのアンビバレントな感覚はデビューから数年経った今でも強い個性を放っている。「痛み系」の元祖的な存在でありながら、ただ「痛み」を発するだけに終わらない彼女のやさしさと、気持ちをオトや声にして、空気を振動させることのうれしさが素直に伝わってくる。


後半にはファーストやセカンドからの流れを感じるようなやや夜っぽい曲が続き、あぁ2年半っていう時間が僕らの間にはあったんだなぁとかいう懐かしい想いがよぎる。それが逆に前半の明るい曲調を引き立たせる。そして最後、ライブではおなじみで、セカンドアルバムの隠しトラックでもあった「passin' away」のドラムンベースっぽいアレンジ版と「月の細胞」のノイジーでスペーシーなリミックスで、壮大な一日が海に沈む夕陽で終わっていくように緩やかに幕を閉じていく。胸がいっぱいになる。ベスト盤というのは、2年半という時間の中で彼女が戦い抜いた成長の記録という意味でのベスト盤なのだな、という満足感を経て、とても前向きな気持ちになる。聴き終わってすぐに新たな再生ボタンを押してしまう。


思うのは、今つかんでいるこの気持ちを忘れないうちにどんどん新作を作っておいて欲しいと言うこと。射し込んだ日の光を、絶対今の内にモノにして欲しい。届きたいモノに届くまで、今ものすごくいいところまで来ている、と思うのです。実を言うと今回のアルバムの中盤にあるような音響的なギミックももっともっと削って、唄そのもので勝負して欲しい。それだけの強さが彼女のメロディと詞には最初っからある。特に4曲目のストレートなバラード「ひとつの果て」と6曲目の和風ロックとでも言おうか「花魁」のメロディが持つ骨太な美しさは誰にも真似が出来ない。本人以外代わりがいないってことは表現の世界に於いて、孤高であると言うことです。独占企業みたいなもん。全部君のモノ。しゃぶりつくしちゃえ。


レコード会社に冷たくされたり、満足に音楽活動をさせてもらえなかったりと、心細い時期が長かったのは分かってるし、その期間忘れずに支え続けてくれたコアなファンとの交流も大事だけど、同人誌的な世界で終わるような低いところで満足しないで欲しい。大好きだからこそ、厳しめにいきたいのです。こんな誰のフォロワー(真似)でもない表現者が日本にいることを僕らはもっと知らなきゃいけないし、知ってもっと誇りに思うべきなんです。はげしく応援してるよ。