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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 


お金もないし、年末に向けて大掃除をスタート。何がすごいって、ゲーム機やソフトの箱だけでちょっとした鎌倉ぐらい作れそうなぐらいある。今日はそれらの埃をはたくだけであっという間に日が暮れたよ。プロも御用達の名カメラ、ニコンF3とか僕使っちゃってんですけど、半年ぶりにレンズを外したら、中のスポンジがぐずぐずに腐っていてファインダーの中の鏡が汚れちったよー。何だよー。デジカメばっかりかわいがっているから、すねちゃったんだなぁ、きっとな。


i-modeがスタンダードっぽくなってからというもの、そんなのうちだってできるもんって言いたげな新しい規格やら、携帯電話を使った不思議なサービスも多いですな。JRは携帯電話を定期券や切符の代わりにすることを提案。何だよー、結局何かをかざさなくちゃいけないところは変わんないの? なんか駅員が気に入ったお客さんの電話番号をこっそりメモするぐらいにしか役に立つように見えないんですけど。お客さん的には何が利点なんだろう?


ゲーム機の性能が32ビットや64ビットや128ビットなんていう高スペック競争に巻き込まれてからと言うもの、「単にテレビを前にして楽しく操作できるもの」と言うより「そのスペックを正しく使い切った模範解答」を求められてることに疑問を感じるこの頃です。確かに、より豊かな表現を求めて高スペック化は今日まで進んできたわけだし、想像力を制限させない状態が訪れるまでこれからももうしばらくは続いていくとは思うんだけども。思うにゲームの根元的な面白さっていうのは、ボタンを押して何か楽しい変化が瞬時に起こるって言うインタラクションの部分にあるんじゃないか。その時間軸をながーくうすーく伸ばしていくとドラクエシムシティになっていくのかなとそう思うわけです。で、今年任天堂から2本のソフトが出まして、ひとつは「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」、もう一つが「マリオテニス64」なんですよ。これは仕事が忙しくてゲームをやっている時間がそんなにない僕が、寝る間を惜しんで夢中になった2タイトルです。でね、思ったのはね。「ムジュラの仮面」は、前作「時のオカリナ」と違って一本道のストーリーじゃなく、短いストーリーが並列に20本ぐらい並んでいて、その中で絶対やらなきゃいけないのと、そうじゃないのがあって、ゲームにのめり込む時間をプレイヤーが自分で調節出来るようになってんのね。で、僕みたいなサラリーマンは必要最低限の40時間コースみたいな感じでエンディングを迎えて満足満足、学生やマニアだったらこれでもか!ってくらい隅々まで遊び切って100時間コースみたいにできる。これってセガの「シェンムー」がやろうとして全然まとめきれなかったことの完成形じゃん、とかそういう観点は今置いておいて、ものすごい労力やお金や知恵をつぎ込んだゲームという「ひとかたまり」があった時に、多くの人が触れない(届かない、届きにくい)部分にまで均等に(あるいはむしろそっちの方に)労力やお金や知恵をつぎ込むのは、作る→届かせる→お金をもらうというサイクルの中でものすごーく効率が悪くないか?と思ったわけです。僕はムジュラの仮面を最短コースで遊んで充分に5800円以上の感動を得たけれども、5800円の中に触っていないものがいっぱい詰まっているのに満足してるって事は、10000円以上の価値ものを任天堂は5800円で売っちゃっていることにもなるわけじゃないですか。要するに損ですよ。無駄ですよ。例え「ゼルダの伝説」がハードを一緒に買ってもらいたい戦略的な価格設定であることを差し引いても、やっぱり大容量化の方向としては、あんまり喜ばしくない感じがした。それがはっきりと分かったのがその後に出た「マリオテニス64」をやった時。誰にでもすぐに覚えられて、みんなでわいわい楽しめて、上達していく喜びと、初心者とのプレイの共存っていう相反するはずのものまでばっちり両立されている。もうここに込められている楽しさって言うのは、まさしくブロック崩しから脈々と続いている「テレビゲーム」と呼ばれる楽しさそのものだ!と思った。飛んできたボールに意識を集中して、ただ返す。その瞬間、僕はどんなロールプレイングゲームやシミュレーションよりも、ゲームの中のキャラクターと一体化している。そしてそこに込められた労力やお金や知恵のすべてが、その「ボタンでボールを相手コートに気持ちよく返す」ことだけに絞り込まれていることにものすごくダイレクトに感動する。それは何と言うか、砂漠で遭難した人に水を差し出すようなダイレクトコミュニケーション。「ゼルダの伝説」の家のいくつかをモデリングをしましたって言っても、イマイチゲームを作ったようには聞こえないけど、マリオテニスにはコートとキャラクターとボールしか出てこないので、そのどれに関わっても「マリオテニスを作った」と胸を張れると思います。ゲームの骨格がシンプルで強いほど、ゲーム性そのものに関わらざるを得ないはずなんだな。そしてまたワンゲームに掛かる時間が数分って言うのも、最近のゲームにはない気持ちよさ。大体ゲームごときで人様の一日から数時間も奪ってしまっては、とてもじゃないけどかわいがってもらいにくいんじゃないかと思うわけです。ドラクエみたいな国民的イベントならまだしも、ゲームボーイの簡便さがツレプテクーよりゲーム機としてしっくりくるのもその辺に起因してるはず。なんかねー、もう一回「気持ちよくボタンを押す」ってところに帰ってみてはどうかね、と思うわけですよ。あの日のウキウキを返してよ。そんな感じ。