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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 


はてさて12月です。朝、目が覚めてもエアコンのリモコンを握るだけのチカラしかない12月。昨日は妹の多分25回目の誕生日でした。しばらく会ってませんが元気でしょうか。5日の給料日まで、財布の中に600円しかない。喰うもののままならない状態です。霞とかを喰って生きられないものか。あとは楽しい気持ちになると満腹になるとか。そんなことを考えながら夕方まで眠りこけて、そのあとはゲームゲームゲーム。面白くなりかけたところで中断してた「ルーマニア#203」をやろうとしたら「バックアップデータが壊れています」と言われて落胆。がんばってやり直すも途中でフリーズ。「風来のシレン2」で武器を鍛えようとしたら、数日掛けて育ててきた「皮の盾+7」を、鎧の敵にポーンと弾かれて、崖の下に消えてしまって呆然。家にいるのに結局「マリオテニスGB」に落ち着いちゃったりして。21世紀に向けてテレビのような固定型エンターテインメントの持つ魅力はますます損なわれていくわけだな、とか責任を変な風に転嫁して勝手に納得。


あぁ、そうだ。夢を見たんだ。銀行強盗をして3億円を持って逃げる夢。僕は何故か駆け出しのお笑い芸人で年下の後輩と二人組、しかも欽ちゃんファミリーの一員なのだった。エナメルのスポーツバッグを抱えながら(そんなのに3億も入らないって)、夕暮れの紫色の土手を逃げていた。寂しい気持ちと、後悔の気持ちがごっちゃになった感じがずーんと背中に乗っかって、何とも言えない情けなさがどこか懐かしかった。中学生の時家出した時のような気持ち。多分弟分だって思えるそいつと「なぁ、自首しよっか」とか空を仰いで、何にも返事がなくうつむいていることを確認して、あぁ、こいつは僕に強盗を手伝ってもらうより止めて欲しかったんだなぁ、とやっと気づいた。やれやれだ。で、まず家に電話した。銀行を襲ったこと、これから自首するつもりだって事、全国に名前が流れちゃうだろうから、親戚中に迷惑を掛けてすまないってことを告げて、弟分と欽ちゃんに謝りに行くことにした。スタジオの中は熱気があって、鏡の前で若い連中を煽るように欽ちゃんはエアロビクスをやっていた。汗をこぼして踊る欽ちゃんに「ちょっとお話があるんですが‥」と持ちかけると、欽ちゃんはレッスンをやめて「何? 言ってみ」と言うので「ここじゃない方がいい」とかしょうもないやり取りをしている時に目が覚めた。しかしなんで欽ちゃんファミリーかね。


流行語大賞が「IT革命」と「おっはー!」だそうで、おはスタファンの僕としては声を大にして「これは私ではなく山ちゃんに捧ぐべき賞ですとか言えこのヤロー!」って気分です。「おーはー!」だしな、正確にはな。一ヶ月ぶりに訪れた2ちゃんねるでも、それっぽいスレッドがズラーッとできていましたが気持ち悪いのですぐに帰ってきました。月曜日のおはスタでは、きっと山ちゃんの何らかのコメントが聞けそうな気がするので要チェキですな。


僕と背中合わせでがんばっている企画屋さんタビー田平の昨日の日記が良かった。無茶苦茶乱暴に気に入ったところだけ引用します。

ゲーム会社はフレックスなのもあって夜遅くまでみんな働いててテレビを見ていない人が多いのですが、僕はテレビ番組は世間の笑い、感動、刺激、秩序が判る点で見ていた方がいいと思います。メディアとして一番多くの日本人が視聴している点で見るべきと思ってます。これはゲームという遊びを提供する側だから言えるんですけど。他の業界は知りません。


小中高の頃、バラエティー番組を見ているとよく親が「そんな馬鹿番組ばっか見て、なんにもならんが」と言っていましたが、今あの頃の番組で得た感覚が仕事に役立ってること考えると親の言っていた当時の言葉は間違ってたと感じます。

クリエイトの現場における企画屋って言うのは「オリジナリティ」や「画期的、革新的な提案力」なんかを求められていると思われがちですが、僕の感覚からすると、多分全然そんなものは要らなくて「普通の人の普通の感覚をちゃんと持っていること」の方が重要ですね。だってお金を払ってくれる人の気持ちに感情移入できない人が、みんなが今、欲しいものや、みんなが見落としてきた意外な盲点を突くようなものを作れるはずがないじゃないですか。そういう観点からバラエティやドラマを「おもしろい」「つまらない」「自分好みかどうか」ではなく「みんなに伝わる」「伝わりにくい」「誤解されそう」というような尺度で見ると、俄然面白くなります。多数決的な回答を求められるクイズなんか、もう訓練の場と考えてもいいくらい。ソニーが以前「ゲームをやろうぜ」っていう新人発掘プロジェクトを興して、「どこでもいっしょ」「Xai」「パネキット」などの名作を生んだんですが、その時の選考基準も「企画力」ではなく「発想を常識的に展開するふつうっぽさ」だったと聞いてすごく納得したのを思い出しました。個性はどこをどう抑えてもにじみ出るものなので、むしろ邪魔ですね。偏った知識を持つことより、正しい常識を持ちたいなと最近強く思います。


番組批判:「ネプ投げ」などに改善求める テレビ繋がりでは、相変わらず下らない論争があって、映画「バトルロワイヤル」も残虐性を理由に公開を限定、あるいは中止させるような動きがあったりします。こういう議論がある時に僕がよく思うのは、不特定多数の人が偶発的に目に触れるメディア上で、必要以上の不快感を故意に発信することは推奨できないことだけれども、その対象が青少年への有害な影響を心配するものであるなら、その悪影響を自分で判断させる土壌をちゃんと培えよってことです。危険な物に蓋をしたり、危険ってラベルを貼ったり、なかったことにして他の道に迂回させたりって言うのは、その場しのぎになっても、成長のタイミングを先送りにしているだけだろうって気がします。だから「めちゃいけ」「ネプ投げ」「バトルロワイヤル」で言うと、ゴールデンタイムに放映している「めちゃいけ」だけはちょっと厳しい部分もあるけど、深夜枠の「ネプ投げ」、劇場に行かないと見れない「バトルロワイヤル」は、見たい人が自己責任で見てよってそう思うわけです。だっていい悪いの明確な線引きなんか誰も出来ないんだしさ。悪いといわれているものをちゃんと見てから、どこがどう悪いのか話し合ったりしたっていいわけじゃん、な。建設的に行こうよ。