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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

記事から抜け出てきた!


今日はね、すごいことがあった。前振り長めで行こう。朝本屋に寄って、適当に資料でも買っていこうかと思ってフラフラしていたら、ラキノンジャペンの新しいのがありまして、スーパーカーの記事が多いから、表紙がゆずなのをかなり我慢しながら買ったんだ。で、電車の中で記事を読んで、ラヴが空回りのインタビュアーの質問と、期待通りのナカコーの発言の数々に感動して涙がこぼれて、出社直後に「このページのここから読んで!」とか、仕事をしてくれてるマッキに、変な熱気むんむんで迫ったりして、もう一日中スーパーカーのことばっかり考えていた。もうその記事はホント最高で、何ページもあるインタビューも3段ブチ抜きの新譜レビューでも、「光の向こう側に見えるものが」とか、「迫り来る未来が」とか、「これは音楽の発明!」なんて、抽象的でとらえどころのない単語ばかりが飛び交う、言ってみれば、スーパーカーを聴いて強く共鳴したことのない人には何の価値もない、客観性の欠片もない文章になっていて、それがまるで自分の文章を見ているときのように恥ずかしくておっかしい。雑誌という性質上、文字数がある程度ないと成立しないっていう部分があって、ホントなら「すごい!」とか「これ好き!」とかで終えたいシンプルな気持ちに、無理してでも言葉を当てはめたいんだけど、結局今までの中で該当する語彙がないので、話しが宇宙や光や未来にまで飛んじゃうんだな。インタビューされて言葉を導かれるはずのナカコーの方が、むしろインタビュアーの暴走にブレーキを掛ける役目になっていたりすんの。「どうしてこんなすごい音を鳴らしておきながら恍惚を感じさせるような方向へ行かないのか」っていう問いに関して「いや、そっち側にはいつでもいけることは知っているし、そうだって言っちゃった時にそうだって事だけしか捉えられないのが一番怖いし、今回は別にそういうのが目的じゃないから」みたいな、完全にニューアルバムがもっともっとすごい何かに向かう途中のプロセスでしかないことを、全然興奮してない口調で平然と言ってのける。そうなんだ、考えてみれば、彼らはデビュー当時からずっとそうだった。青さや若さをぎゅっと詰め込んだファーストアルバムが絶賛された時も「別にギターポップが好きな訳じゃない」って言った。打ち込みを大胆に導入したメロウなセカンドアルバムを発表した時も、意図して新しいことをやったわけではなくて、前から持っていたものをタイミングを見計らって出しただけって言った。でたった半年のインターバルで2枚のエクストラアルバム(全部新曲)を作った時も、これはサードアルバムじゃなくて、過去の在庫処分だって言い張った。要するに、すべてがすべて、ナカコーの頭の中にある「すごくかっこいいところ」へ向かっていく為の、段階的な布石、あるいは未来から差し伸べられた正しい回想の1場面でしかないことが、その生意気なセリフの数々の裏で、逆説的に証明されていくのだった。怖いし、すごい。ドキドキするし、連れてって欲しいと願う。そんなことを一日中ぼんやりした頭で考えていて、夕飯を食べにいつもより早めに仕事を片づけて渋谷に向かったんだった。そしたらね、帰り道に向こうから歩いてきたんだ。スーパーカーの淳二が。ははは。爆笑。そういう偶然って僕の生活の中にものすごくよくある。好きな人に会いたいと思ったら会えたとか、そういう魔法。でももっとおかしかったのは、本ばかり読んでいたせいで、ホンモノの淳二が現れたときに「あ! 記事から抜け出てきた!」って普通に思ったんだよね。へんなのー。っていうか本題は一行で済むじゃんとか言うのなしね。