lovefool

たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

時間の最小単位

takanabe2000-11-15



「暴れはっちゃく」の親父が亡くなった!って、他にもっといい言い方が見つからないところがすごいです。


プールサイドはバターのような匂いがする、とか、君の耳たぶはオレンジの味だね(フクダケイ)とか、乾いたタオルの太陽の匂いが好きとかなんとか言っていると、「あー君はあれだね、詩人だね」とか半ば呆れ顔で言われちゃうのにももう慣れましたが、その「太陽の匂い」が科学的に再現できるようになったんだそうですよ。まだ嗅いだことが無いのでイマイチピンと来ないし、変な気持ち。遺伝子操作とかに似て、なんかそこだけは数値化して欲しくなかったよーっていうところに足を踏み込まれた感じ。今年初めての大雪が降った日にオレだけの秘密の空き地に息を切らして駆けていったら、とっくに誰かの足跡だらけになっていたみたいなね。


ワン切り、つまり電話を掛けて「プルルルルー」ってコールが一回聞こえたら切って、不在着信通知で相手が改めて掛け直してくるのを待つ行為(つまりはお金の無い学生が自分の電話代を安くしたいため)なんだけれども、それ自体がもう当たり前の仕組みとしてまかり通っているどころか、「ワン切りしたのに30分も返事なしってどういうことー!?」とか怒られるように言われたりするご時世だそうですよ。たまらんですね。で、そこまでならグチなんですが、例えば社会人の僕らにとって、ケイタイでのメールのやり取りは、デスクトップでするメールの10分の1ぐらいに希薄な、言ってしまえばテキストで高圧縮させた言葉遊び、あるいは初めてトランシーバーを手にしたときのようにスパイごっこを彷彿とさせる、時と場所を無視した繋がり感の共有という、「遊び」がまずありきな意味合いが強いかと思っているんだけれども、「ワン切りで30分返事なし」でいらいらする世代の人たちって言うのは、何つうかもう生きている時間の単位が15分とかで10分とかで出来ているんだろうなと思った。サンプルになるかどうか分からないけど、僕は1日の仕事を4つぐらいの時間のブロックの中に当てはめて一日を過ごす。会社に届いたメールは初めて読んでから大体2時間以内をめどに全部返信する。言われた仕事を片づけるには、今日中、明日まで、3日後、週末まで、週明けまでのような単位を用意している。僕が何かをこなすには多分2時間とかが最小単位なんだろうなって思っている。でもテレビにリモコンが付くようになってから、チャンネルが秒単位で変えられるものになったように、ケイタイを子供の頃から当たり前に持っている人たちは、その2時間って言う単位が、リモコンのない古いテレビのように鈍くさくて退屈で仕方のないものなのかも知れないと思った。僕が2時間掛けないと何らかの形にアウトプットできないって言っている間に、例え仕事の総量は同じだと仮定しても15分区切りの生き方だったら8つのことを並列して回せちゃうわけでしょ? なるほど「ワン切り30分返事なし」は、僕にとっての4時間に当たるわけで、時間の感覚からすれば、それなりの我慢を表してるのかなぁって、勝手に納得してみた。


2年前の松崎ナオの写真を見つけて惚れ直す。あー、この絶妙ないやらしさこそ、ぶうこの神髄。なんだろうね、今時、紗のかかったようなブロマイド的な演出や色合いが、往年の山口百恵的なものをイメージさせるんだけど、どこがどうそう思わせるのかイマイチ自分でも分かりません。イマイチ分からないけどドキドキしてやまないのがぶうこのぶうこたるゆえんと言えばそうなんだけど。厚い唇、ピントの合っていない視線、跳ねた毛先、でかい襟、胸のポケットの位置や大きさ、つうかどこよそこっていう背景、この写真のあらゆる所からもう匂い立つ色気に僕はひゃーって真っ赤になりながら目を覆ってしまうような気持ちです。ごめん、正視できねいよ。目を見たら最後、抱きしめてしまいそうだ。やーん、こっちにこないでー!


先月、突然更新が活性化してその前向きなテンションの高さを絶賛した身内と言っていいだろうサイトのいくつかが、フツーに沈静化してきて、あ、そのタイミングまで一緒ですかって思うと何かちょっと笑えた。それもなんか「今日ももりもり書いてやるぜー」が「やばい、書くことないぜー」になったって言うんじゃなくて、「書きたいことがたくさんある時」と「ない時」が両方があって、別のどっちの時も更新は義務じゃないんだけど、「ある時」はいろんな事をしたい、「したい」がたくさんある状態のうちの一つが「更新したい」感じを含んでいて、「ない時」っていうのは仕事も暇なら、他にしたいことも何にもない状態なんだ、更新を含めて、まー、生きるってのはそんなもんだっていう点。「書かなくちゃいけないような出来事ながなかった」とか「やりたいから私はやってるんだ」みたいな痛ーい自己確認を1ヶ月おきにしているその辺のサイトのようなモラトリアムからはとっくに卒業してんだなぁ、僕らは、と思ってちょっとだけ誇らしかったですよ。なんか変な言い方だけれども。