lovefool

たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

死んでいく感覚器とデリバリー時間差


んー、今日はちっと重めの話しで。


オトナにならないと分からないことがあるとして、僕はそれが子供の頃から何かを損なってそこへ辿りつくようなイメージがずっと拭えなかった。多分ヒトというのは生まれた瞬間がカンペキで、そこからいろんな種類の言葉や表現手段を得るたびに、今までよりコミュニケートは洗練されていくんだけど、感覚を翻訳することが器用になればなるほど、本来そこにあったはずの感覚が死んでいくような気になるんだわね。例えて言うと、若いときには暇と体を持て余していたけどお金がなかった。オトナになるとそこそこのお金はあってもそれを正しく使うだけの暇と体力がないみたいな感じでしょうか。これも既に死んだ感じ。


味覚についての雑学知識がそのイメージに直結した時、僕の中でいくつかのことが解決した。例えば小学生に好きなメニューを聞くと「カレー」「ハンバーグ」「スパゲッティ」とかって言う。でもオトナになると「塩辛」や「アン肝」や「もずく酢」や「ビール」なんかの独特の深みのある味がありがたく思えたりする。コドモに無理して食べさせると「おえー!」って顔をする。でもコドモがはっきりした味を欲しがるのは、味覚が発達していないからじゃない。鋭敏すぎるからこそ、複雑な味や微妙な味はコドモの鋭い感覚器には「耐えられない」のではないか。コドモの好きなわかりやすい味をオトナ達が特に嫌ったりしないことからもわかるように、グラィックイコライザーで言うところの録音ピークレベルが高すぎて、微妙な味を口の中に入れると、それは食べ物とは思えないぐらいのノイジーな味になるんだと思う。あらかじめ音バランスの良いポップス(カレーとかハンバーグ)だけがなんとか気持ちよく響く。で、年を取って舌の味覚を感知する細胞が死滅していくたびに、今度はそのピークレベルが全体的に下がる代わりに、ジャズの揺らぎや、今までは音楽とさえ思えなかった環境音なんかの波形、無音に近い空気の振動に、感覚が程良く死んだ耳や舌に届きやすくなるだけなのではないか。


要するに深い溝のように尖っていた感覚が、長い年月のいろんなゴミや砂で埋め立てられた分、浅くフラットにならざるを得ないだけの話しで、オトナはコドモよりたくさんのことを知っているどころか、感覚器や感受性の面で言えば、より赤ん坊に近いコドモに勝るものはない気がすんね。コドモの頃ってちょっとしたことでわんわん泣いたりするけど、オトナになって毎日声をあげて泣くような理由を探すのはなかなか難しいじゃない? それは経験によって理性が備わって泣かないんじゃなくて、ショックを受け止める感覚がどんどん死んで、前より減っていってるだけなんだと思う。そこがオトナになっていく悲しさのイメージや、若さがうらやましいってイメージに繋がるんだと思う。感覚の死滅と引き替えに得る表現力。それは大いなる矛盾だ。


自分の信じる感覚を上手に説明できるだけの知識や翻訳力がないと、サラリーをもらうタイプの表現者にはなれない。みんなでヴィジョンを共有して、正しく効率よく分業するために必要なスキルだから。でも押し迫った時間の中で饒舌に言葉や知識を紡げば紡ぐほど、アイディアがそれこそ天から降ってきたときの最初のヒラメキやキラメキからは、少しずつ(しかし確実に)色や光が損なわれていく気がしてそれがやるせない。ホントはテレビでも見ながら広告の裏にさらさらってマジックで書いたヒラメキを「ねぇ、これっていくない?」「いい!いい!」「ねー、いいよねー」っていうんでだけで何もかもできあがればいいんだけど。


その解決策の一つが外部を遮断してひとりで何もかも全部作ること(プロダクトではなく、クラフトな方向)、感覚を誰かに説明するためのチカラで分散しちゃう前に、全部自分で再現しちゃえば消耗だって少ないじゃんって当たり前のことに気づいた。ま、それが待ちきれないからこそ、僕はプロダクトの現場にいるわけですけれども。だけどコツコツとながらも、それをちゃんと実行して成功している松本大洋の書き下ろし超大作なんかは、ヒラメキとそのデリバリーまでの時間差は広がりまくる部分は解決できないにせよ、感覚を最優先した努力が感じられてそれがいい。すごく。最大公約数的なマスプロダクト自体の意味がだんだん希薄になっていくだろう21世紀のものの在り方として、けっこう普通にスタンダードになるのかもな、と思った。