lovefool

たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

手がかり吸い取り紙


プーチって世界で1000万個売れてるらしいですよ! すっげ!


季節の変わり目なのでお約束の風邪ッぴき。でも最近考え方を改めたら、そんなにしんどくなくなった。誰だったかなー、坂本龍一だったかなぁ、なんかそんな感じの人がお医者さんの偉い人に言われたってことを話していたんだけど、例えば、お腹を壊してトイレに入りびたりって日があったとするじゃないですか。普通ならしんどいよね。で、正露丸とか何らかの薬を飲んで一秒でも早くそれを止めようとするじゃん、普通。でもそうじゃないんだって話しだった。体は自律神経が自浄作用を促しているから、お腹を壊してトイレに入りびたりだとすれば、それには体の外へすぐ出してあげなきゃいけない何かがあるからそうなっているわけで、薬やなんかでそういうのを化学的にせき止めたりしたら、かえって逆効果な場合だってあるかもよ、ということでした。要するに病気って言うのは何かが壊れ続けて悲鳴を上げている状態ではなくて、脳が体を正常に戻すために自分で必死に働きかけている作業中の状態のことなんだってことですわ。そう思って熱でぼーっとしている体や、沼に沈むような深い眠りや、ティッシュが手放せない鼻なんかを思うと、なんかちょっと「がんばってんじゃん、オレ」って思えてきませんか? 僕は単純だからそう思えましたね。ずびー。


後輩が「乗っていきます?」と言うので車で途中まで送ってもらった。交差点に明かりの付いた雑居ビルが見えて、その3階が「お絵かき教室」だった。カッティングシートでそう大きく窓に貼ってあるんだから間違いない。その下になにやら文字が見えた。目を凝らすとどうやらそれはURLなのだった。興味がある人はアクセスしてみてね、って事なんだろう。でも、そのアドレスはフツーのプロバイダかなんかにあるフツーのアドレスなので例えばラヴフールのようにhttp://www.bremen.or.jp/takanabe/って感じに長いのだった。交差点からでも見える大きさにわざわざ文字を抜いたって、それじゃあ意味がないだろう。oekaki.comとかじゃない限り家に着くまで覚えてられる自信はまずないです。作りたてのホームページに興奮して「世界に発信、オレのアトリエ!」とかって思っちゃったのかなぁ。


そん時思い出したのが、mafの家で「理想のPDA」についてブレインストーミングした時のこと、と、ソニーが何ヶ月か前に発表したテレビやラジオで気になったことがあった時に、キーホルダーのボタンを押すと、あとでその曲名や、女優の着ていた服のメーカーや値段やなんかが分かる手がかりになるという装置。


携帯電話やPDAやノートパソコンやデジカメやウォークマンは今、もういろんな価値観を取り込みながら進化している最中なんだけど、結局のところ、1+1=2.5みたいな中途半端な合体ロボばっかり作っているのが現状です。でもそういう一昔前のテレビ付きラジカセみたいなダサイ足し算じゃなくて(そんなのが欲しい人はモテナイ人に決まってる)、僕が欲しいのは膨大な駆動時間のバッテリーでも、高速無線通信でも、フルカラーで高輝度な液晶でも、出来るだけ無尽蔵で安価なメモリでもなくて、手がかり吸い取り紙みたいなものなのだった。


それは手の平に乗るキーホルダーのようなものでボタンが一個だけ付いてる。町中で「あ!」と思ったときに、鞄にぶら下げた、あるいはポケットの中のそれを取り出して、「あ!」と思ったものに向けてボタンを押す。その情報(ブックマーク的なもの)の取り込みに成功した時はグリーンに光り、失敗したときは赤く光る。で、家に帰って、テレビに取り込んできたものを全部吐き出させると、それぞれのホームページみたいなものへ飛んでいくイメージ。テレビ番組の広告ならビデオ予約とか出来てもいいよね。


その信号を発するための装置はモニターだったら簡単なんだけど、機械じゃなくて、印刷物のインクのようなものに潜ませることができたらいいなぁ。ゲリラ的な風俗チラシを含め、広告はずいぶん面白くなるだろうなぁと思った。そんなことを夜の交差点で考えました。(写真はお茶についてきたキーホルダーです)。




特報・NTT基本料金:基金作り格差是正へ 郵政省方針


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今日のワンポイント密教(7)

音と体と意識、この3つを三密と言い、密教のすべての行の基本になっています。手は身密、言葉を口密、精神を意密と呼び「人と仏は本来は同じと知るために、人の行動の基本である音と体と意識のすべてをかけて祈念する」それが密教なのです。他の宗派でも念仏を唱えたり、坐禅を組んだりと、身、口、意のどれかにウェートをおいています。ですが、密教はこの三つすべてを同時に行うところに大きな特徴があります。

他の宗派の「禁欲の代償として得られる境地」とは違う、自分の内面にまっすぐに向かっていくっていう姿勢がなんか好感触。我慢したから与えられるんじゃなくて、もう最初っから素質は誰でもあるんだからそれにちゃんと気づこうぜ! 気づくための努力をしようぜっていう風に聞こえる。