lovefool

たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

記憶上書きの巻


お気に入りのヘッドフォンが通勤途中に聴こえなくなるというサイアクな出だしの月曜日。


おはスタに「ミニモニ」が出ていた。と言ってもASAYANは見てないから事情がよく飲み込めないんだけど、モーニング娘。の中の背の低い3人が勝手に作ったユニットで、CDデビューを目指すっていう集まりなの? 年配の矢口だけが目をぎらぎらさせていてちょっと怖かったです。


ロクヨンヤロウゼ!というサイトに、宮本茂がラジオ出演した時のインタビューが載っていた。来年夏に発売が予定されている家庭用ゲーム機「ゲームキューブ」について「任天堂ってゲームハードの性能の高さをPRする会社じゃないと思う」と前置きしながら「恐らくXboxにも引けを取らないでしょうし、PS2なんか話にならないぐらい速いですから、それがすごく安い値段で出せるだろう」と言ってました。すげえな。PS2なんか話になんないだなんて、こういう口調になった宮本茂を見たのは実は初めてかも。それぞれに好きなことを好きにやればいい、みたいにいつもは言っていたから非常に驚きました。「やっぱりおもちゃとしてとしてちゃんと買える値段で売りたいですよね。僕も親として子供に買ってやれる値段であってほしいし、最悪涎を落として壊されても我慢が出来る値段にしたいと思います」。ここはいつもの任天堂らしさと言った感じ。まとめとして「ゲームデザイナーっていうのは、ゲームを作ることでお客さんの心をつかまえる、楽しませるっていうのが目的なんですけど、あまりその映像とかそういうものがね、お客さんの心をつかんでいたらデザイナーはいらないじゃないですか。アーティストがいればいい。僕らゲームデザイナーが仕事をしているうえはね、つまらない丸三角でもね面白いモノを作りたいと思うし、面白いってものはなにも高性能だけで出来あがることじゃないですからね。それを見失わないように両方の優れたものを作っていきたいと思うんですけどね」と、大容量化、高速化に向けて、もう一度立ち位置を確認的な発言で締めくくっていました。ところで任天堂の人は「ゲームクリエイター」と言う言葉を使わずに「ゲームデザイナー」といつも言いますね。インタビューからもわかるように「アーティスト」の対義語のような意味合いで使っているようです。僕はここで使われている「デザイン」の意味合いほど、正しく使われているのはないなぁっていつも思います。自意識とかコンプレックスで商品を作っちゃいかんよね。正しく仕組みを理解した人が、ちゃんとかみ砕いて、調整したものを届けたい。奇妙な形のコップやシャツをありがたがることを「デザイン」と呼びたがる人が、未だにほとんどなので時々いやになります。


スタパ斎藤のコラムが大変面白かった。深夜のファミリーレストランの人工的で不健康な空間がなんかいい!と言う話。最近僕も一人でレストランや喫茶店に行く機会が増えて、本を読んだり、仕事に関するアイディアを書き溜めたり、はたまたラヴフールの更新をしたりしている訳ですが、うるさくもなく静かでもない、そして椅子がそこそこ柔らかいファミリーレストランは、ぼんやり考えたり、考えなかったりするのにぴったりだ。自分の部屋だと頭の中からは出てこない雑念を、うすーく広げてレストランという空間にしたような感じ。そう言えば待ち合わせ場所もこんな印象があるな。いろんな思念が飛び交っているんだけど、そんなに大したことないと言うか、どうでもいいものが飛び交っているのがちょうどいい感じ。ファーストフードなんかじゃこうはいかないでしょ。


んーと、デジカメについて思うところあり。デジカメって電話と携帯電話ぐらい形が似て意味の違うものだと思うんだけど、先に紹介したスタパ斎藤のコラムやいろんなページに貼られている撮りたてデジカメ写真を見ていると、僕はどうも気分が悪くなるのだった。いや、気分が悪いなんて書き方は良くない。「剥がしてくれ」とか「やめてくれ」って意味じゃなくて、それに対応する感情や感覚の種類がまだ自分の中にできてないせいなんだと思う。それはどんな感覚かと言うとフレームの中に収まったそれが見えるだけじゃなくて、その人がその時に感じたことが同じ体験として脳みその中にずずずっと滑り込んで犯されるようなそんな感覚。強制遠隔五感操作とか、記憶上書きとかそんな感じ。肉体が離れているのに、感覚だけがその人のその瞬間に重なって、したくもない体験を強制的に追体験させられる。その気持ちをどう処理していいのかわかんないのです。たとえば、ヒロミックスが友達とふざけあっている写真を、当時「写るんです」の次ぐらいに軽い感覚のカメラ「ビッグミニ」で撮ったのを見ても、そこにはそんな感覚はなかった。報告系の表現であるにも関わらず、僕はそこにいなくてすんだ。作品のこっち側で涼しい顔をしていられた。あ、でもアラーキーの写真には半分ぐらい「五感操作」の匂いがある。フレームの中に写っているものより、構えている人の視線や視点、被写体との関係性が見ている人の頭の中に流れ込んでくる感じ。例えば彼の撮ったエロ写真を見るとそのモデルとやったかやってないか、知らない僕でもわかるよねってそういう下世話な感覚でもいいんですけど。一体何が違うんだろう。シャッターを切る重み? 印画紙や印刷物のように触れるものじゃなく、モニターの中で編集されて発光しているとこ? 撮った時の気持ちが冷めないうちに半ば未編集で届けられる物語だから? 僕はネット上の何気ない風景やスナップを見るたびにどうしようもない、なんとも言えない気持ちになってひどく混乱するのだった。みんなはそんなことないのかな。


ホンダの人型ロボットP3が1000万円で商品化だって。うちの係長は5万円しか決済できないので200枚に伝票を分けてもらってきて、って言ってました。あと未確認だけど、小田急電鉄光ファイバーを開放するって話。もう新宿や江ノ島に行く時は小田急乗りまくりだね。


今日のメールマガジン

『こんなはずじゃなかったのに、という考えは捨てなさい。こんなはずなのだから。』(ウエイ・W・ダイアー)。

つらい時はホントのことを言って欲しがるけど、ホントのことはちっともやさしくないよね。