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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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ゲームショーで醒めるの巻

何となくリニューアル。昨日まで上の方にあった絵は、高校の制服を着た僕の下校途中つもりだったのに「あのタカナベさんのページのサラリーマンの絵、可愛いですよね」って言われて、伝達力の足りなさに改めて呆然。胸に刺繍とか描いておけば多少違ったのかも。で、たった2作ゲーム風デザインできたのに、3つ目にしてスーパーカーにしてみた。脈絡ねぇー! 休み時間に作っているにしては悪くないっしょ?


今日はマクハリのゲームショーに行った。ゲーム会社勤務5年目を迎えながら、4年目まではアーケードゲーム専門だったので、家庭用ゲームの祭典であるゲームショーは初めてなのだった。なんか笑顔がなくなった。何でだかわからない。楽しみにしていたゲームボーイアドバンスワンダースワンカラーに触れたり、年末までに盛り上がっていくはずの最新大作ソフトが紹介されていたり、ハードとハードを繋ぐ新しい提案がいくつも参考出展されていたり、肉感的なコスチュームのコンパニオンがにこやかな笑顔を浮かべていても、少しもうれしくなかった。ひとつだけ笑顔がこぼれたのがあった。エポック社で出している「エキサイトピンポン」。以前から7000円程度で売られているスタンドアローンな体感テレビゲームシリーズがあって、バットとセンサー付きで野球を一人称視点で体感できるというもの。これの続編が「卓球」なのだ。野球と根本的に違うのはテンポ。野球はピッチャーが投げてくるのをじりじりと待つ緊張感がたまらないけど、卓球はピンポン玉の跳ねるリズムにうまくノリながらラケットを左右に振らないと空振りになる。そのせわしなさが温泉地で卓球をするのにそっくりな「和気あいあい」感を醸し出す。ラケットを振る人もニコニコしているし、後ろでそれを見ている人はもっとニコニコ。操作の説明もいらないし、体感ゲームでありながら、ゲーム機とコントローラー込みで7000円程度って考えると、ゲーム機を持っていない人がビートマニアダンスダンスレボリューションをしたい時に三万〜五万円払わないと得られないカタルシスとどこがどう違うのかと言えば、全然違わない上に、「おもちゃ」や「暇つぶし」のあるべき姿としてとにかく適正な気がしてきて、来年からPS2を追撃するように任天堂ゲームキューブマイクロソフトXboxなどの情報家電とも言われるようなハイエンド機がどんどん投入されていくけど、ホントにそれ必要????とふと酔いが醒めてしまったような気持ちになった。何となく勢いに巻かれてここまで進化してきてしまったけど、ぜいたくな暇つぶしであることが大半の人の認識であるはずのゲームに、ファミコン以上のものって「必要」とされているんだろうかって思った。「グランツーリスモ」の新作は空気の揺らぎまで表現されている。「鬼武者」はバイオハザードの操作系を残しながら背景までポリゴン化したので、カメラアングルの演出が派手になった。今までのハードでは出来なかった複雑なシミュレーションゲームや100時間かかっても終わらない壮大なロールプレイングゲーム。すごいよ。確かに昨日より選べる喜びの種類は増えていると思う。でも「必要」? 今までの何十倍も手間暇掛けたモノっていうのは単純に今までの何十倍も売れないといけない。売れるって言うのはニーズがあるって事でしょう? 僕にはそれが全然信じられない。子供には買えない値段、難しい操作のそれを、お金を持っている僕らぐらいの世代が、何十倍も詰め込んだ開発者の思い入れの密度をちゃんと受け止めてると思えない。年に一度買うか買わないかのゲームさえみんな終えてない時代。5年ぶりのドラクエさえ買ってはみても放っておかれる時代。世の中のパソコンの処理能力を使っていないときに間貸しするというページをよく見かけるけど、一度も触れられずにいるゲームソフトのデータって年々乗算的に伸びているはず。一度も触れないデータにお金を払うのって単純にもったいなくない? じゃあ、ゲーム開発者は何のために何日も徹夜してるのよってとこに行き着く。僕らは人の来ないような森の奥に一生懸命でかい遊園地を作ってないか? 薄暗いところが好きな連中ばかりを相手にしてないか? そう言うことを物販の限定グッズに長い列をなして並ぶ目の死んだ人たちなんかを横目に思ったよ。もっと言っちゃえば、ファミコンブームの時のバブル的な儲け(出せば30万本〜100万本売れたって時代があった)を忘れられずに15年以上来ちゃったんだって思った。よりいいゲームを作ればあの頃の何倍も儲かるような気がしていた。昨日よりすごいゲームが作れれば、それが叶うと思っていた。そうか?


プレイステーション2が開発者の間で人気がないという噂を聞いた。以前、ニンテンドウ64がそうだったように、すごい性能を自在に操るための技術力や設備投資が高すぎて、誰もついていけないという話し。確かに今回のゲームショーでもプレイステーション2用のソフトに一番力を入れていたのはSCEI自身だ。ニンテンドウ64任天堂製のゲームだけで商売を成立させていたように(それが悪いこととは思わないけど)、年末までの発売予定表に大きなタイトルはほとんど見られない。300万台売れているというプレイステーション2は事実上どの家庭でもリモコンの使いにくいDVDプレイヤーでしかない。ソフト会社は困っているし、開発環境が相当楽だと言われているゲームキューブXboxへの参入も会社の存亡を掛けて真剣に取り組んでくるだろう。


でもソニーは正しいかも、と思った。情報家電という難しい言葉がなくても、ソニー製品としてプレイステーション2を捉え、そのコピーである「全てのエンターテインメントはここに集まる」を思い出してみる。僕らには大事な毎日の時間があって、その合間に電話やメールやゲームやインターネットやDVDや音楽CDや睡眠時間がある。時間のパイは有限でそれらは複雑にお互いを取り合っている。ソニー製品はその大半に食い込んでいくことが出来るし、その中心にプレイステーション2をおいて、選択肢としてDVDとゲームの2種類を用意していることは、やんなきゃいけないことが多すぎる今の時代、全然普通のサービスじゃん、と思えてきた。バカなのは取り分があらかじめ減っていることに気づかないで昨日より豪華で大きなパイを作り込んでいるゲーム会社じゃん。昼休みが30分しかないのに2時間のフルコース料理を頼んで誰が食べるんだっていうそういうズレ加減。ホント夢から醒めちゃったんだよ。そしてゲームが売れようと売れまいとソニーは怖いくらいにその中心にいられるだけの選択肢を自分の中に持っているんだ。ゲームこそが生命線である僕らに対し、ソニーにとっては無数の選択肢の内の1つでしかない。そしてそれが普通の人のライフスタイルにそのまま合致してるんだよな。シビアな時代だ。いいものを作ろうぜ、とか呑気に言えません。