lovefool

たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

冒険


ナツヤスミも終わりです、ざまみろ小学生。もう昼間はドラクエできないんだぞう、やーい。


雑念を振り切るために仕事にのめり込む振りをしていたら意外とちゃんとのめり込めてびっくり。僕は企画者としてまだスライムも倒したことのない「ぬののふく」「ひのきのぼう」って感じなんだけど、アレだな。企みごとの設計図を書いているときに、ふと手を休めて「あー、この紙のこのでかいでかい余白の部分に何を書くべきかって、今も未来も自分しか知らないし、わからないことなんだよなぁ」とかって思い始めると、なんか変な笑みがこみ上げてきて最高。ちっぽけながらも神様になったような気持ちであります。頼まれた畑に綺麗に苗を植えていたデザイナー時代とは違って、畑の形とか、刈り入れの時期とか、米を買ってくれそうな人に、想像の中で少しずつ少しずつピントを合わせていく。能動型のロールプレイングゲーム。しかもフリーシナリオ、マルチエンディング。


昨日の夜NHKで、ポストペットを作ったチームと、ドットコムな感じの個人起業家(例えば主婦)のような人たちを特集した番組をやっていた。資本主義がある程度成熟した今の日本で、多数決的な幸せを永続させるためにサラリーマン的に仕事をこなしていくんじゃなく、自分が本当にやりたいことを、本当に共感できる人たちとだけで始めてみると、リスクはでかいんだけど、やりたいことをやっているっていう充実感が毎日を活き活きさせる、というようなことが語られていた。本当にそう思う。原動力はとにかく「頼まれなくたってやりたい」っていう無償でとめどない気持ち。マーケティングやビジネスから出てきたものじゃないそれは、必ずオリジナルなモノを生み出すし、時として企業さえも脅かすビジネスにだって発展する力を秘めているという話しだった。


社会が成熟すれば、個人主義になる。国のために頑張ろうって思っていたおじいちゃんなんかの世代は、そういう労働者的な幸せを共有できたし、個人の能力を底上げするパワーの源になっていたんだろうって思う。でも僕には自分の国をどうしたい、どうあるべきという欲はない。気を抜くと死んでしまうような危機はないし、生活にもそこそこ満足できちゃっている。フリーターでだってサラリーマンと変わらない稼ぎが得られる今のような時代は、むしろちっぽけでも自分の幸せ実現に近づこうとする気持ちの方がリアルに思える。平和が持っているなんとなく退屈な側面というのは、そういう自己実現のチャンスが転がっているのに気づけない人が言うことだ。


何でもいいから、歩き出す。だべっている暇があったら歩き出す。上司の悪口や世の中を呪っている暇があったら歩き出す。そんで夢を話して、一緒に喜んでくれる人を捜す。もし「○○がなかまにくわわった」と表示されて、やさしいジングルがなったら、冒険はかなりいい線にいってるはずだと思う。レベルもそこそこ上がってる。僕もはやくその曲を聴きたい。