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CD「ハヤブサ」 スピッツ

ハヤブサ

ハヤブサ

はーい、お待たせ。スピッツの新作レビューですよ。だいたい今20周ぐらい聴いたところ。でも一回目と印象変わらず。これはあれだ! 前代未聞の大傑作だ!


何度でも繰り返し言うけど、僕は「インディゴ地平線」「フェイクファー」「99ep」「ホタル」の間のスピッツって言うのは迷走状態だったと思うんですよ。長年の付き合いであるプロデューサーの笹路正徳を離れて、ほぼセルフプロデュースに戻ったこともあり、バンドとしての今まで以上の強い結束と自立が必要になったり、「チェリー」や「ロビンソン」の爆発的なヒットにより、そのイメージに固定されないように早く新しい打ち出しを焦ったり、必要以上にロックっぽい骨太な音づくりにいそしんだり。それらは完成度の意味において非常に前向きに働き、商品パッケージとしてスキのないかっちりとしたモノを作り上げるに至りました。でもそれってどうなんだー?って僕は思っていた。どれもすごい力作だし、誰にも簡単には追い抜けないモノがそこにはあったけど、わざわざ「スピッツ」がやらなくてもいいんじゃないか? 自立心と責任感を強く感じるあまりに「スピッツ」本来の良さから離れつつあるんじゃないか、とそう思ったわけです。


まぁね、人はどんどん変わっていくし、そんなの古くからのファンの「そうあって欲しい妄想」に過ぎない部分もあるわけだから、あまり大きな声では言わないように注意してたんだけど、正宗の最近のインタビューを見ていたら「99epは自分でもよくできたと思えないし、最近のスピッツスピッツが薄くなっていたような気がする」という主旨のことを答えていて、その「スピッツが薄くなっていた」って感覚にものすごいシンクロ。そーなんだよ、正宗自身がそう感じてくれてたなら僕はもう曲を聴かなくたって、遠くの恋人が愛を信じてくれるように感動の涙だよーって思ったよ。


「メモリーズ」を聴くと、パーッと心の霧が晴れていくように、今までの迷走状態が終わって、かっちりとその先の道を示唆してくれた。新しくて懐かしい(僕の知っている)スピッツがそこにいたんだ。ニューアルバム「ハヤブサ」を聴いても同じように、懐かしさだけじゃない「濃い」スピッツが、13曲なんて言う膨大な曲数の中で自由に楽しく飛び跳ねているのが見える。まるで霧の過去を振り切るように一曲目はイントロも短く「今」なんていう象徴的なタイトルから始まる。

ありがとう なぜか 夏の花
渚の気まぐれな風を受け
噛み痕 どこに残したい?

「この花を渡せたら それが人生だ」とまるで何か生き急ぐようにうそぶいたインディゴ地平線、「慣れない道を歩くもう一度、闇も白い夜」と、音の強さに対し心細さと諦めの詞が目立ったフェイクファー、でもそんなのはずっと過去のことで「ありがとう」っていう現在をもっとも肯定する言葉で始まる。もうその認識と確認だけでこのアルバムは完成しちゃってていいんだ。


くすぐったくて、弱っちくて、うれし恥ずかしいスピッツの世界が、まるで夕暮れの坂道を転げていくように弾けてる。プロデューサーの石田小吉が見せる正宗の泣きメロを強調したアレンジが、テクニックのあざとさよりも一般的に素直な「スピッツのよさ」を上手に届かせる。豊かな中音域、説得力を増したヴォーカル、へなちょこ風アレンジに強調される楽曲のシンプルな骨太さ。まるで誰かになりたくてしょうがなかった中高生のジレンマが、自分は自分でいいじゃんって、ある日鏡を見て気づいたような、そんな肩の力の抜け具合が、13曲というボリュームの割に、風通しをよくしていて、何度繰り返し聞いても、もっともっと聴いていたくなっちゃうんだ。


それはまるでファーストアルバムの鮮烈さ。「トンビ飛べなかった」とか「ビー玉」「夏の魔物」なんかを初めて聴いたときのあの感じ。「誰にでもわかる言葉で、嫌でもトリップさせてやる」って言っていた時の目の光り。僕の知る限りスピッツは縮小再生産でない本来の意味での「原点回帰」を成し遂げた唯一のバンドだと思う。最近スピッツを知った人にはもちろんオススメだし、昔からのファンは2枚買い必須。僕はもちろんとっくですわ。両手を広げて「おかえり! スピッツ!!」。