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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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そういう意味での豊かさ


ぼやぼやしてたら更新したばかりの運転免許証をなくしていたことに10日間も気づいていなくて、顔を真っ青にして慌てたところから一日がスタート。まぁ普段、車乗らないから(持ってないから)これって40万円した身分証明書以外の何者でもないんだけどさ、誰かに拾われてむじんくんとかでガンガンお金借りられてたりしたらこえーなーって思って各方面に問い合わせたら駅に届いてました。メデタシメデタシ。


冬の夜の寒い空気のせいなのか、眠る前の小一時間ぐらいがサミシイ・ビーム炸裂な感じ。お母さんに冷たい足を挟んで温めてもらわないと安心して寝れないっていう甘ったれな子供だったからな、その名残かもしんない。仕方なくひとりで寒さの中で体を小さく縮み上がっていると、現実との境目がないような白日夢的な妄想とか見たり、呼ばれてもいないのに返事をしたりとか、風呂のお湯を足していると、その音の合間に携帯電話の着信音が混じって聞こえたり、なにやらキチガイじみてます。ストレスとかはないはずなんだけど、初めてだそんな体験は。


免許証をなくしたのもそうだけど、今年に入って電車を乗り過ごすとか、たったふた駅の間に切符を無くすとか、26年間一度もしなかったようなことが何度もあった。仕事とか遊びとかのデイリーなインプットが、なんか僕と言うパソコンのメモリーをちょっとオーバーしちゃってるのかもしれない。雑誌とか買っても数ページしか読まないうちに次の号が出ちゃったり、暇になったら買ってみようと思ったゲームがとっくに4作目になってたり(やる気減退)、自分の名前のついたメールアドレスが仕事用を入れると5つあったり、テレビ欄(新聞とってません)やCDの発売日なんか覚えてられないのはもちろんのこと、友達との約束の日付や約束そのものも忘れてしまう。


僕と言う個人はおそらく、いくつかの共同体に属したネットワークの一部、ノイズ入りのケーブルのようなものなんだろう。右や左から入ってくる情報になんらかの「自意識」(整理、加工、修正、追加、削除、あるいは発信そのものも)のフィルターを掛けて、与えられた情報を反対側に繋がっている人にわかりやすくした状態で手渡しすることで、存在意義や存在感っていうのを認識されているんだと思う。で、普通に社会で働いていれば、その共同体の数や規模、与えられる情報や問題は年々一回りずつ大きくなり、そのフィルターの有効性や貢献度によって、(ホントはそれだけじゃなくて誰かの恥を代理で消化することでそのギャップをお金をもらうことで埋めてる人も多い:サービス業等)肩書きが偉くなったり、給料明細の額が変わったりすると信じられている。


ところがそれは自分が思っているほどそんなに重要なことじゃないかもしんない、と最近思ったよ。というか、そういうことに疑問を持たないと資本主義的なサイクルからずっと抜け出せなくなっちゃうんじゃないかと不安になった。


僕が興味深く覚えている話の一つに「地球にやさしい製品のデザインコンペ」って言うのがあります。これは大学の先生(現役工業デザイナー)がしてくれた話なんだけど、昨今のエコロジーブームで製鉄業界も先行きが見えてない部分もあるから、デザイナーとしてなんか新しい提案してみない?っていうコンペがあったんだそうな。でその先生はまじめだから、「モノを作るにはその材料から考えなくちゃな」って思った。まず製鉄のプロセスの全行程をこまめにチェックしていった。そしたらどうにもならないことだけがわかった。どこをどういじっても「鉄を作る」って行為自体が「環境破壊」そのものだって結論にまで行き着いちゃった。で、その先生が出した答え。「モノを生み出すこと、鉄を作ることが自然の破壊ならば、その鉄を使って自然を生むようなものを作るぐらいしか自分にできる手助けはないんじゃないか」。そうしてできたのがステンレス製のプリミティヴな農機具だった。鎌とか鍬とかそういうのね。その作品はちゃんと理解されてコンペに入賞したんだそうな。でもどうなんだろう。その作品のよさ(絶望した中での前向きなアウトプット)はわかるけれどもその過程の中でほとんど無力だって気づいちゃった自分の気持ちはそこから先にどうフィードバックされて行くんだろう。


たぶん、その先生に限らず自分の両手に繋がっている人たちはそのことに大した関心を抱かないだろう。ほんとに絶望してそのままアウトプットがされなければ、なお気づかなかっただろう。大抵の人は隣の人の悩み事なんか興味ないし、自分が抱えた情報の荷物に行き先を書き記すのに手一杯になっているから。


そういうことに気付けずに、昨日も今日も明日も目の前に置かれた情報の整理だけに自分のほとんどが忙殺されていくのはしのびないな。情報誌を片手にデートするとか、攻略本がないと解けないゲームとか、それぐらい悲しい感じ。そういう意味での豊かさを少し考えてもいい時代になってるはずだと思うんだよなぁ。