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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

CD「turbo」 UA

takanabe1999-12-02



もうなんつうかUAのすごさって言うのは僕がひとことふたこと言ったところで、なんら変わりない確固たる存在感をすでに放っているわけだけれども、今日もまた僕はふつうにリコメンドするよ。だって彼女、ものすごく素敵じゃんか、なぁ。


彼女の唄やそれを取り囲む音を聴いていると、自分が女であることに甘えない「強さ」を感じる。相変わらずの乱暴な言い方をすれば、女性ヴォーカリストには2種類しかいなくて、「女であることの弱さ(痛み・甘え)」か「女であることの強さ(幸福・優越感)」どっちかだと僕は感じていて、それはとどのつまり「意識」の上ではひとつでしかないと思うわけ。だけど彼女はその先の地平からそっと振り返るように「女性」を唄う。青年が十代の頃を振り返るように、いつかの迷いや痛みをふと思い出すのだ。そして唄われるそれらの情景は自分の現在が幸せの中心にいることを裏打ちする。大事な人を許したり許されたりした長い長い道のり、行間に溢れる彼女のそんな濃密な時間が、案外直接的に描かれている部分の詞よりむしろ、映像喚起力があってそれがたまらなく美しい。

あの花の色がそっとピンクに染まる頃 星屑のかごを持ってあの娘に会いにゆこう
胸騒ぎはいつも素敵な予感の仕業さ 瞳閉じたまま 胸元に口づける 
君の癖が好きだよ

さらりと唄ってみせるそんなシーンの節々に、僕は少女でも、母でもない、やさしさに溢れた彼女の「女としての強さ」を感じる。彼女の目に映るのは自意識や欲とはかけ離れたやさしさのりんかくのようなもので、それが一緒にいる大事な人の毎日を柔かくしているのを感じる。いや、勝手な想像なんだけどさ。


もっとさっくり言ってしまえば、彼女の唄には「NO」って感情と「認めて欲しい(わかって欲しい)」っていう動機から生まれたものがない。いや、ないことはないけど、この3枚目のアルバムには極端に柔らかな印象のものが多い。そこにはいつも日本とは思えないようなだだっ広い景色が地平線まで広がっていて、その端と端とが、現実世界の他愛のない幸せと繋がっていたり、どこかの民謡と繋がっていたり、未来や宇宙やママと繋がっていたり、ちょっとまどろんだ時に見えるあっち側と繋がっていたりする。


女性の作品がすごいなーって思えるのはそういうシャーマン的な、というか、巫女的なと言うか、自意識を飛び越えた何かがその才能と肉体を借りて憑依しているなって思える時。ノイジーな自意識のかけらをちりばめるんじゃなく、まったく別のものがその才能と肉体を必要としていてそれがあますところなく発揮されているって気がする時。ウーアの声が空気を震わせるとき、僕はそんな気持ちになるんですわ。それはとても幸せな気持ち。


ところで、このアルバムを聴いて、僕は日曜日のドライブなんかを思い描きますけれども、あなたは何曜日のどんな風景を思い描きますか。聞かせてもらえるとうれしい。あと「リンゴ追分」のレコード版、譲ってくれる方、切望。よろしく。