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CD「FREEDOM 99」 AIR

FREEDOM/99

FREEDOM/99

99年という現在は「怒る」ことが大変難しい時代だ。「怒る」って行為は「告発」に近いので、「怒る」対象が確固した主義、主張、存在感を持っていないといけない。相手をみつけて、ぶつけたエネルギーの反発力でしか、その「怒り」の正当性は計れない。壁のない壁打ちができないように、相手のない「怒り」はどこにも存在しない。


曖昧さが割と許容されている今日、「怒る」って行為はエネルギーの浪費だっていうようなムードがある。例えば1960年代だったら「体制」っていうのがはっきりしていて、それに反旗を翻すっていう行動にもそれなりの共感や意味や思想を感じることができた。でも「みんなで革命を」(個は群をばらけたもの)っていうムーブメントがだんだんと意味を失い、反旗を翻すべく「体制」そのものが存在しない99年では「自分にできる範囲でパーソナルな幸せをめざす」ってシフトした発想の方が全然自然だし、実現可能な革命(個をたばねたものが群)そのものなのかもしれない。


かつてロックは「反体制」の叫びだったそうな。オトナに理解されない若者の叫びが、その「怒り」を轟音に変えて、体制に飲み込まれまいと「主張」したんだってさ。


だけどどうよ、気がつけば「ロック・ミュージシャン」だったはずの人たちはみんなパーソナルでミクロな世界の唄しか唄わなくなった。まるでフォークソングの4畳半みたいな狭い世界。こんな傷を舐めあって許しあうのがロックか? そうだよね、がんばろうねって同情して励ましあうのがロックか?


答え:それはロックです。(神様)


そう、何だかんだ言っても、ロックなんだと思うよ。現在形の若者の主張が息づいていれば、それは紛れもないロックなんだろう。だけど、昔ながらの「怒り」の後継者が新しい世代の中に全然いないのはちょっとさみしいじゃん。問題だって消えてなくなったわけじゃないんだし。そこでこれ。AIRの4枚目のアルバム「FREEDOM 99」の登場でございますよ。(ここから本題)


AIRと言えば、割と時代を代表するような「今」っぽい空気をかなり正確に描写できる人かなーって思ってた。特に前作の「Usual tone of voice」では平熱のままで、先の2枚のアルバムを越えるテンションを、自身の内面の葛藤を描きながら見事結晶化させた傑作だった。つまり感情をそのまま出すっていう種類のエネルギーじゃなくて、AIRは「感情」をちゃんと「表現」に昇華できる「理性」の人だという印象があんのね。それはあの優しい声にも感じることなんだけど。


最初のマキシ、1st、2ndアルバムに溢れる勢いや鮮烈さはさて置き、あそこにあるのは自身の音楽衝動よりも強く、自身を縛り上げている「理性」の束縛。


私は「怒り」を表現したい→うるさい音にしよう。
うるさい音を印象強く聴かせるために、コントラストのある曲構成にしよう。


っていうような図式的な束縛をちょっとした節々から感じるのね。それは優れた「コミュニケーション技術」つまりプロデューサー的な才能であるとは思うけれども、「怒り」や「衝動」からはどんどん遠ざかっていく方向性だと僕は感じます。だから「Usual tone of voice」でニュートラルな彼に戻って、内面をしっかりと描いたのは表現者として必要な行程、確認作業だったと思うわけです。で、見事等身大のポートレイトを手に入れた彼は、次なる表現として再び「怒り」を選んだ。それも時代とは逆行するような「体制」に対しての「怒り」を選んだ。

自分の指の小さな傷の痛みの方が 何百万の人々の絶望の死よりも 
心配だと言いたそうな顔色に 笑いかけるフォスターチャイルド

このアルバムでAIRは糾弾する。無関心、妥協、保身、自己満足を。NATO空爆を許すな。これ以上クローン羊(ドーリー)を増やすな。リアリティーを感じないって毎日に甘んじるな、と。そして何もかも無関心だったあなたが「知らなかった」とは言わせない、とまで先回りして叫んでいる。


そんな彼の姿に「かっこわるい」というのは実に簡単なことだ。実際僕自身あんまりかっこいいとは思えない。彼自身のメッセージをいくら聴き込んでも、危機感やリアリティを感じる事ができないし、解決策がメッセージの中に示唆されているわけでもない。だけど、こんなあやふやな時代に世界中から問題を探してきてまで愛と自由を唄うのは、とても勇気がいる。コンビニがない世界で毎日を生きるよりずっと勇気と体力がいる。だけど彼はそれを選んだ。99年と言う時代に。例え空回りでも叫つづけることで、彼は以前の理性(束縛)とは引き換えに、熱い衝動、新しい血を自分の表現として獲得しようとしているんだろう。実際、楽曲には以前からは考えられないような重厚な響きや熱量、肉体、匂いのようなものが封じ込められていて、そこがこのアルバムを大きな価値のあるものにしている。スパイラルライフなんて数年の間にずいぶん過去になっちゃったなぁってしみじみ思ったよ。


僕はそのもだえながらも全力で駆け抜けて行く彼の姿に「ロック」を感じるし、彼の行く先が気になってしょうがないのだ。ねぇ、最近怒ったかい?