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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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「ポケモンスナップ」

ポケモンスナップ

ポケモンスナップ

やさしくありたいのである。なんかさー、「ゲームって文化である前にまず玩具だ」って考え方、僕はかなり好きなんですけど、一度「玩具」だと思ったときに、あまりにココロナイゲームって最近多くないですか?


あのね。こないだテレビでやってたことを鵜呑みに言うんだけど、最近のコドモってキャッチボールができないらしいよ。野球の話ね。しかも、投げるだけならフォームもしっかりしていてスピードもコントロールもいいんだって。だけど、ボールを受け取る側になった途端、おろおろと無様な格好になって、ふつうにキャッチできなんだそうな。ボールは投げるより受け取る方が、脳が行う情報処理としては桁違いに多いっていうのが理由で、その処理自体に最近のコドモがあまり頭を使ってないことが原因。


で、それを見て僕は全然違うことを考えていたんですよ。ゲームとか漫画のようなコドモ文化を少し大人の目になって見てみると、受け取ることより、好き勝手に発信することを「快楽」を理由に奨励しすぎてんじゃないか? そう思いました。


例えば、「ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド」というゾンビが出てくるガンゲームは次々に自分に襲いかかる恐怖を破壊、殺戮することで振り払い、物語的には解決に向かう。「ポケモンスタジアム」は自分の育てたポケモン同士を、どちらかがノックアウトするまで技をぶつけ合う。あと漫画「ドラゴンボール」の終わりの方とかも、強さのインフレが激しくて、いじめられっこの喧嘩の様に制御されない力のぶつけ合いが、幼稚でつまらなく見えた。


ひとくくりに言ってしまえば、それらは「誰かの気持ちを受け止める」意志が希薄なエンターテイメントなんだろう。もうこの際言っちゃえば、幼稚な文化ですよ。そんなのは。


で、今回のリコメンドは「ポケモンスナップ」。これ、ポケットモンスター達が自由気ままに生きている島で、図鑑を作るための写真を撮りまくるという新しいタイプのアクションゲーム。ただそれだけ聞くと、「写真なんか興味ないし、ポケモンにも特に思い入れはないよ」ってあなたは思うでしょう。OK。充分です。なぜなら僕がそうだから。でもこのゲームは面白い。そして新しい。そしてきっとみんな楽しい。その理由を今から話すよ。


32ビット以降のゲーム機の特色として三次元の空間表現というのが挙げられますが、どうですか? プレイヤーとしてのあなたはその中で空間的な自由や、ゲームキャラクターに成りきって世界を縦横無尽に駆け回ったりした覚えがありますか? めまぐるしく動く画面に三次元酔いしたり、ハシゴを登れずに横の壁にずーっと顔をこすり付けていたり、つかみたいアイテムをパンチドランカーのボクサーのように何度も空振りしたりしてませんか?


魅力的であったはずの3次元空間はプレイヤーに「今まで体験できなかった新しい感覚」より多くの「ストレス」を与えました。現在でもそれらを軽減し、新しい感覚や表現を生み出していこうという研究は絶えず進められていますし、「ゼルダの伝説」などはジャンプの動作を自動化したり、意味のあるものに視点がロックする注目システムを発明されるなど画期的な進化が見られました。ですが、出るソフトの数に対しての結果、まだまだ未熟な表現分野であることは否めないでしょう。


このソフトの画期的な点は、それらの動作をすべて自動化してしまったことです。このゲームではプレイヤーであるカメラマンは、一定速度で自動操縦されている乗り物に乗って、そこから左右に見えたポケモン達に向けてカメラを動かし写真を撮るわけです。ちょうどディズニーランドで言うところの「ジャングルクルーズ」にそっくりなつくり。自動操縦だから写真撮影だけに気持ちを専念できるし、三次元空間の自由さをあますところなく楽しめるわけ。被写体であるところのポケモン達は好き勝手に動くのでそれを追いつつ、いいカットを撮るのに四苦八苦。でやっとの思いで、いい表情のポケモンや、偶然にも発見してしまった貴重な生態をフィルムに収めてしまったときの感動は、ホントのカメラの感動とまったく一緒。三次元空間の中の撮影では二度と同じ写真が撮れないって言うのも、「今」っていう時間の切なさと大事さを感じます。


上達してくると写真の依頼主であるオーキド博士は様々なアイテムをプレイヤーにくれます。「えさ」や「笛」や「イヤイヤボール」なんていうものです。それを組み合わせることでポケモン達の反応が変わり、また新しい表情をファインダーに収めていくわけ。


もちろんすべてはロボットのように決められた動きの組み合わせだし、同じコースでは同じ動きしかしないポケモン達だけど、ここで僕が言いたいのは「ポケモンをカッコよく撮ってあげる」っていう相手を想った気持ちね。来たるべく完全な偶然を呼ぶために、プレイヤーはえさや笛や巧みなカメラさばきで、ポケモン達の自由な生き様をファインダーに受け止める」わけですよ。一見、ガンシューティングゲームにも似ているこのゲームの作りだけど、完璧に違うのはその「気持ち」の部分ね。主役がポケモンで、それをプレイヤーが受け取って引き立てるっていう構図。これが新しいし、愛のある玩具の形だと思うんですよ。ポケモンはそういう観点から性別のないモチーフとして本当に最適。


音声認識コミュニケーション・ゲーム「ピカチュウ元気でちゅう」でも、この受け止めてあげる姿勢は強く反映されている。ピカチュウはマイクから聞こえてくるプレイヤーの声を判断して様々な反応をするんだけど、音声認識の精度だけを取って言えば、全然「認識」とは言えないレベルの代物なんだわね。でもそこにいる相手が「ピカチュウ」ってなだけで、「あれ? 今のは自分の言い方がよくなかったのかな?」「今度はもっと分かってもらえるように言ってあげよう」って気持ちになるんですよ。これがもし銀行のキャッシュディスペンサーや、駅の自動切符販売機だったりしたら、こうはいかないと思うわけです。なんとなくわかってもらえたでしょうか。


つーことで、今回は「やさしさ」をテーマにこれからのおもちゃはあるべきっていうまとめで、終わりにしたいと思います。以上。