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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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仲良し


 ぐしょ濡れになって帰ってきた僕は玄関でタオルをもらいながら、奥で笑っている君の姿に目をやった。先にやっててくれよと言ったのは僕の方だったけど、君はもう完全に酔っていた。艶っぽい目つきになって、勇二の首にべったりと両腕を絡ませていた。そして耳にそっと口づけたりしていた。それはけして特別なキスじゃなかった。でもそのキスは僕をとても悲しい気持ちにさせた。




「はい、もう一枚」
 自慢のアンティークカメラが寒空の下で大げさな瞬きをする。どこまでも透き通って高い空。白くひこうき雲が伸びてゆく。丘の上の君は居心地が悪そうな笑顔でフレームの端っこに収まった。
「ねぇ!」
「んー?」
「そんな写真、撮ってどうするの?」
「引き延ばして天井に張ろうかと思って」
「冗談!」
「小さく切って定期入れにも入れるよ」
「どこへでも一緒って?」
「いつでもね」
「本気?」
「ははは、すごく本気」
「ふーん」
「いやかい?」
「いやよ」
「どこが?」
「本物がかわいそうじゃない」




 ビールが切れてふたりでそばの酒屋まで買い出しに行った。傘を拡げようとする僕に、酔っぱらった君は「走ろ」とはだけたコートのままで僕の手を取った。いつもの彼女からはしない煙草の匂いがした。


 確かに僕らはクラスでも「仲良し」と呼ばれた二人だったけど、君にとってはたくさんの友達のうちのひとりでしかなかった。でもそんなのどうでもよかった。僕といるとき、君はいつもよりちょっと幼く見えたから。


「たのしそうだね」
「うん、お酒のむとなんでもよくなっちゃうの」
「楽になる?」
「うん、いろんなことが全部同じくらい大事に思えてくる」




「まだ気にしているの?」
 髪を耳にかけながら、僕の目を見た。
「何を?」
「こないだのこと」
「こないだ?」
「家に行ったときの」
「あ、あぁ。全然忘れてたよ」
「じゃあ、もっといい顔してよ」
「つまらなそうかい」
「さみしそう。さみしいの?」
「‥すこし、かな」
「私がんばっている方なんだけどな、かなり」
「‥知ってる」
「うまくいかないのかな」
「どうだろう」
 丘の上に並んで座り、僕は溜息をついた。彼女は不満そうな顔で僕のカメラを取り、いじくり回していた。
「撮ってあげよっか」
「いい」
「撮りたいの、撮らせてよ」
「いいって」
 頬を膨らませて、ぶーっと言った。僕はすっかり機嫌を損ねてしまった。全然忘れられてなんかいないのだ。




 お酒がすっかりなくなってしまうと彼女は僕の腕の中で眠った。狭い部屋の中で何本もの足が交錯していて、それはちょっとしたパズルのようだった。アルコール混じりではあったけど、それは完全に天使の寝顔だと思った。僕は腕のしびれも忘れて、青い影の射したその顔を眺めていた。


 やがて寒さで目が覚めると、腕の中に天使はいなかった。トイレにでも行ったのだろうと思い、僕はまた目を閉じた。でも台所の方から低く声が聞こえてきた。ひとりは勇二の声だった。何かを吐き出すような、苦しそうな声。ずいぶん飲んでいたから、戻してしまったんだろうと思った。でもそれと重なるように聞こえる声は何? そう思った瞬間に僕は目が覚めてしまった。それは彼女の、声だった。僕がまだ聞いたことのない、特別な声。女の子がすべてを許した特別な男の子にしか聞かせない声。


 気が狂いそうになった。耳をふさいだ。頭の中が熱くなって、目玉の裏側で火花が散った。僕の心臓は飛び出しそうに高鳴り、このまま気を失って、溶けて消えてしまいたいくらいだった。


 どれくらい長い時間が過ぎただろう。こたつに潜ったままの僕の隣に、さっきと同じように君は潜り込んできた。僕は眠った振りをしていたけど、そんなこと無意味だった。君は勇二の匂いをさせたまま、僕に背中を向けて朝までの短い時間を眠り始めた。夢じゃなかったんだ、と僕は爆発しそうな気持ちになった。




「私、勇二なんか好きじゃないよ」
 僕は黙って、空を見上げた。
「もっとわかって欲しい人がいるんだもん」
 彼女は立ち上がり、カメラをうつむく僕に向かって構えた。
「写真の私は好き?」
「‥うん」
「悲しいことしないから?」
「かもね」
「永遠だから?」
「かもね」
「私は写真に写ってない部分も、ちゃんと好きになって欲しい」
 カメラを僕に手渡した。
「でも、まだ無理だって言うなら、ちゃんと撮って」
 そう言って、君は赤いワンピースのジッパーを下ろして、裸になってしまった。
「早く撮ってよ」
 僕は立ち上がり彼女をフレームの中に収めた。涙が頬を伝っていた。僕は涙が見えないように、頬の下で切り取った。何枚も何枚もシャッターを切り続けた。
「また撮ってくれる?」
 とワンピースを着ながら彼女は言った。
「泣かない?」
 僕は流れる涙を拭ってやりながら、言った。
「泣かないよ」
 それを聞いて僕は微笑んだ。抱きしめたい気持ちを抑えて、さよならと言った。


 その写真は今、どこにもない。フィルムなんか最初っから入ってはいなかったのだ。彼女は僕の中でだけ永遠の空気をまとい、フレームの中に収まっている。半分の顔の君の写真はどれも、不思議と笑って見えた。