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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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点の世界


 遠く離れた恋人に会いたくてたまらないなんて気持ちを、まるで知っているみたいな素振りで、インテリたちは今日も終わりのない議論を繰り返している。本物の距離、本物の時間、本物の疲労。そういったものは映像や映字の中にしか存在しない。現実逃避が見せる「夢の世界」に違いないのだ。そんなことにいくら真剣になったって、時間つぶしにさえならない。だってここにある時間は「暫定永遠」なのだから。


 窓の外にはたくさんの滑り台が見える。僕らの先祖が街中に張り巡らせたあまりにわかりやすい象徴だ。彼らの恐怖心が街の空を埋めるほどの滑り台を生み出した。「簡単」「短縮」「節約」そういった言葉が古の時代にははとても大事にされていたと聞いた。しかし「簡単」という言葉は今日ではネガティヴな響きとして受け止められている。「暫定永遠」とされる時間の中では、いかにその時間をどれだけ長くひとつの関心で消費できるかが、その人の知恵とされる。女の子と会うにしたって、時間を短く感じさせないことが大事だ。


 すべての罪悪は町中にあるあの薄汚い水色のボックスから始まった。DTA。昔風の言葉で言えば「物質瞬間転送装置」とでもなるのかな。あんなものを発明したせいで、この惑星のすべての文明は、さらなるものへと進歩する意志を失ってしまったのだ。


「あらゆる距離の移動に掛かる時間が、何とまばたき2回分に短縮!」だなんて、まだ「短縮」がいい意味で使われてた時代のことだ。確かにあの頃は、地面の中や家の中にたくさんのチューブが張り巡らされていた。ちょうど僕らの街の滑り台みたいに。それは離れていることへ不安感を埋めるために張り巡らせたチューブだった。あらゆるチューブを使って、昔の人たちは離れた人のそばへ自分を、あるいは自分の分身や気持ちを飛ばそうとした。さらに効率を高めようとすることにたくさんの投資をした。今じゃ博物館でしかそのなまめかしい造形を眺めることはできない早い交通手段、地面の上を音よりも速い速度で駆け抜ける、獣のような機械がたくさん作られたのもその頃のことだ。


 DTA、すなわち転送装置は、それらのすべてを補いまだあり余るものとして、当時たくさんの歓声をもって受け入れられた。単身赴任や出張や転勤がなくなり、引っ越しに伴う転校がなくなり、天候による交通機関の停止がなくなり、それをいいわけにしていたたくさんの遅刻や欠席がなくなった。


 やがて、自動車のために大きくスペースを割いていた道路がなくなり、街と街をつなぐための太い道路や鉄道や様々なチューブも断たれていった。街は小さなコミューンのようにコンパクトなものになり、住み易い土地で一斉に暮らし、始業時間ぎりぎりに人里離れた山や谷の実験場のような場所へ「まばたき2回分」の転送で、仕事をした。


 そのうち住んでいる距離に関係なく浮気が蔓延し、たくさんの混血児が生まれた。信じられないことだけど、昔は同じ惑星の人種でも肌の色がはっきりと違っていたらしい。言葉の種類も無数にあって、それぞれには互換性がなかったと聞く。


 言葉や肌の色同様、無数にあった文化は入り混じり、文化や情報の優劣は完全に平均化された。どこに行っても同じ服、同じ食べ物、同じ遊びを手に入れることができた。地域性が損なわれた結果、この瞬間に離れている人とただ会うためだけに、DTAは使われるようになった。僕らの祖先が「足」という機能を退化させていったのもその頃だと聞く。「点の世界」。この世界を不満に思う知識人の間では自らの住む地平をそんな風に自嘲するのが流行った。


 それに恐怖したのが僕らの祖父の世代だ。「移動」そのものにもう一度意味を持たせよう。「距離」はきっとロマンティックなものなんだ。気持ちを増幅させる装置のようなものなんだ。このままではこの惑星の「文明」そのものが途絶えてしまう。そんなことを大上段に構えて言ったんだ。


「恐ろしく不便で、移動と距離をそのまま感じられるもので、誰にでも使えるものがいい」


 そうして選ばれたのは太古の遊具「滑り台」だった。街中に滑り台を張り巡らそう。みんなで「移動」や「距離」の意味を体で感じよう。そういうスローガンに大したシンパシーは集まらなかった。しかし、大抵の人たちは他にやるべきこともなかった。暇だったのだ。理由はともあれ何よりまとまった時間をつぶせると言うことで、たった34年の間に計画の87%に及ぶ数々の滑り台を完成させた。だけどもちろん、それは祖父が思ったほどロマンティックなものではなかった。恋人に会いに行くのに、夕飯の買い物に行くのに、会社にわざわざ早起きして行くために、滑り台はよく用いられた。でも問題はその後だった。一度退化してしまった足は、滑り台を伝って降りた後、目的地へ自分を運ぶだけの筋力を持っていなかったのだ。滑り台は単に国家的建設事業としてしか、その機能を果たすことはなかった。


 窓の外には錆び付いた無数の滑り台が絡み合っている。僕は8時27分の目覚ましを横目に、車椅子に乗って、青いボックスの中へ入っていく。家に帰ったら今日はゲームをしようと決めている。冒険活劇もののゲームだ。そこでは時間が大事なものとして扱われている。太古のように丸二日掛けて越える岩山や、腹を空かせて死にそうな長い夜や、何度か敵を倒すと切れの悪くなる武器がある。少年時代から始まって、ボスを倒せる体力の付く青年期までを「本当の時間」を掛けて成長させる。主人公が寿命を迎える前に悪の大王の根城を見つけ、倒さなくてはならない。僕は楽しみだった。くたくたになって岩山を越える自分を想像しながら、僕はDTAのスイッチを入れた。