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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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白い家の穴


 夕方、ミルクを買いに行った帰りにたくさんの人だかりを見た。警察のパトカーが何台も来ていて、赤いランプがぐるぐるとあたりを照らしていた。普段ならそんなことには目も向けずに、自分の生活へまっすぐ帰って行く僕だけど、そうはできなかった。思うところがあったのだ。人混みをかき分けて進んでゆくと、事件はやはりその家で起こっていた。


「何かあったんですか?」
「人がね、お亡くなりになったみたいよ」
「ひょっとして、女の子ですか?」
 そう言うと、おばさんは好奇心の目を僕に向けた。
「それが殺人事件みたいなのよ、あなた何かご存じなの?」
 僕は慌てて、まさかという風に首を振った。でもそれだけで充分だった。僕は悲しかった。


 その家に空いた穴を見つけたのは半年前のことだ。その家がそこにあったことも知らなかった。太陽が照り付けるアスファルトに、僕は水撒きをしていた。穴は冷えたチーズケーキみたいに白くて大きな塗り壁の、玄関に続く階段のわきに、ぽっかりと空いていた。まるで何かのマークみたいな、まん丸な穴だ。そこからすっと女の子が出てきた。白く短いワンピースを着た女の子だった。穴はなんに使うにせよ、ものすごく中途半端な大きさで、女の子も体を器用に屈めながら、その穴から出てきた。僕はぽかんとその姿を見つめた。赤い髪の華奢な感じの女の子だった。ちょっとハーフのような、学校の同じクラスにはいないタイプの娘でもあった。汚れた手をはたいて、履いていた靴のかかとをいじっていた。そして、どこかへ急ぐようにして足早にいなくなってしまった。


 あの娘はどこからやってきて、どこへ向かったのだろう。僕はその娘のことが頭から離れなかった。授業を抜け出し、穴の前に立ってみた。穴は木の扉でふさがっていて、大きな南京錠が掛けられていた。ほこりまみれでとても汚れていて、とても昨日今日に誰かが使ったようには思えなかった。僕はなんか胸騒ぎがしてきて、家の中がとても気になった。裏庭へ回ろうと思った。去年、車が突っ込んだまま直っていないブロック塀があって、僕はそこから登って入った。壁にはたくさんのツタが根を這わせていて、地面から湿った土の匂いがした。伸びたドクダミヒメジオンの中に飛び降りると、地面が柔らかくて足を滑らせた。誰も踏み固めていないせいだ、と僕は思った。壁と塀の間は子供一人分の隙間しかなかったけど、僕は痩せていたので、何とか前に進むことができた。やがて木の枠のついた窓が見えてきて、背伸びすると汚れたすりガラス越しに家の中が見えた。僕はポケットからしわくちゃになったティッシュの残骸を出して、ガラスを擦ってみた。中には何やら大きな有機的なカーブを持った形をしたものが2つ横たわっていて、そのうちのひとつは赤く、もうひとつの中には一部が白く動いているように感じられた。僕は目を凝らして、それがおそらくふたの開いたチェロのケースであると目星をつけた。しかし、一方で動いているいくつかの白いものはなんだか分からなかった。まさか生き物? 空き家に?


 窓は空気の入れ換えのためか、わずかに浮いていて、鍵は掛かっていなかった。僕は両手で窓を上げてしまうと、中に鞄を放り込み、自分もあとから潜り込んだ。


 スニーカーのまま部屋に降り立つと、ぎいと床がきしんだ。そこには人の気配がなかった。なんだ、ただの空き家じゃないか、とがっかりした。だとしたら、昨日の女の子は何者なのだろう。あの穴はどこに繋がる穴なのだろう、と疑問がわき上がってきた。


 天井は天窓がついていた。床に落ちていた羽毛が僕の動かした空気の中でふわりと舞った。丸いテーブルの上にガラスの花瓶があって、生けられた花はドライフラワーになっている。古いソファや、足が1本足りない椅子には絵の具のあとがついていて、そういえば、あたたかい油絵の具の匂いが辺りには満ちていた。アトリエとして使われていた部屋なのだろうか。


 僕は天井から射し込む光の下にあるチェロケースに向かって歩いた。中には何やら、白く丸いいくつかの固まりがうごめいていた。僕はこわごわそれをのぞき込んで、途端に子供のような顔になった。そこにいたのは3匹の小さなうさぎだった。僕はうさぎを抱き上げて頭を撫でた。


 ぎい、と自分体重以外が鳴らした床の音を聞いて、僕はぎくりとした。この部屋の奥に台所風な空間が見え、そこから聞こえた音に違いないと僕は思った。耳を澄ますと、やかんからお湯を注ぐ音がしていた。マグカップを片手にスプーンをかき回す涼しげな音が聞こえる。不意にその足音は止まった。僕の存在に気づいたのだ。


「‥サカナカ、さん?」


 女の声だった。息を殺していても、もうどうしようもなかった。うさぎは僕の腕から飛び降りて、すばやくどこかへ駆けていった。 僕は動けなくなった。不法侵入? まずいな、僕にはもっともらしい言い訳が何もなかった。昨日の女の子が気になって? チェロのケースの中身がえーと‥ あぁ、どうしよう。


「早かったのね」
 靴底が床に貼り付けたまま、結局なんにもできずに、女の子が僕の前に現れた。
「あら」
 僕の顔を見て、女の子は拍子抜けした顔で安堵の溜息をついた。
「なんだ、新入りさんかぁ」
 そう言って、急に軽い足どりになって、そばのソファに座ってリラックスした。
「こんなところで何しているの?」
 長いブーツを履いた足を人魚みたいにバタバタ鳴らして、女の子はこっちを見ずに言った。
「捜し物?」
「‥ま、そうか、な」
「こんなとこで?」
 意地悪く女の子は笑った。僕は返事が出来なかった。
「見つかっちゃったかと思った。安心した」
 彼女は笑ってコーヒーに口をつけた。小さな唇だなと思った。
「誰かに追われているの?」
 と僕は聞いた。
「まぁね。聞きたい?」
「いや」
 僕は居心地がよくなかったので、早く立ち去りたいと思い、そわそわした。
「コーヒー飲む? まだあるから」
 女の子はずっと前からの知り合いみたいにそう言った。僕は曖昧にうなずいて、女の子のそばに腰を下ろした。女の子は僕のために体をずらして、手を伸ばし、チョコチップ・クッキーをかじった。
「ここに住んでいるの?」
 と僕は聞いた。
「聞かないんじゃなかったの?」
「穴から出て行ったよね? 昨日」
「見てたの?」
「気になって、見に来たんだ」
「ここはね、私のうちじゃないの」
「知ってるよ」
「家にはやく帰ると見つかっちゃうから、暇なときは大抵ここにいることにしているの。空き屋なのかな、たぶん」
「学校は?」
「それは、あなたの方でしょう?」
「今日は自習だ」
「自習? なんの?」
「ん、だから、うさぎの」
 そう言って、辺りを見回すとうさぎは1匹もいなかった。
「うさぎの、何?」
「うさぎの観察。人参は好きかとか、ピアスをどう思うかとか」
「知りたいの?」
「知りたいよ」
「ん、コーヒー」
 カップを渡されて、口を付けた。すごい濃いコーヒーだった。
「また、飲みにおいでよ」
 と彼女は笑った。
「う、うん」
 とせき込みながら僕も笑った。


 翌日から、学校が終わると僕は白い家に駆けていった。うさぎに新鮮な野菜を持っていてやり、腹一杯食わせると、大抵彼女が現れた。白い、短い、いつものワンピースで。柱の影から微笑んでいた。僕らは古い象牙色のソファの上で何度もキスして抱き合った。彼女のからだは羽毛のように儚げで柔らかかった。彼女を乗せて動かしていると、そのまま浮かんでどこかへ飛んでいってしまいそうな気になった。天井から差し込むやさしい光が月に変わるまで、僕らは黙って動き続けた。僕らに言葉はいらなかった。それは静かでとても幸せな時間だった。そうして疲れて抱き合ったまま眠りこけると、たいてい夜の寒さで目が覚めた。彼女はいなくて、3匹の白い天使達が、僕の顔をのぞき込んで鼻を動かしていた。僕は辺りを見回し、悲しい気持ちで彼女が畳んだらしい服を着た。夜の餌をチェロのケースの皿に入れて、裏の穴から家に帰った。そうして翌日にはテープを巻き戻したみたいに、同じところから王国の1日は始まった。餌を買い、うさぎ達に食わせ、彼女が現れ、そして‥


 ところが、それはあまり長くは続かなかった。うさぎにいくら餌をやっても、誰も現れなくなった。僕はいつかそんな日も来るだろうと思っていたけど、素直に現実を受け入れることができなかった。彼女がいない部屋に行く理由もなかったけど、うさぎ達は僕を待っていたので、毎日通わないわけにも行かなかった。


「うまいか?」


 セロリをやりながら僕はつぶやいた。うさぎ達を見ているとプリンセスが呪いを掛けられて3匹のうさぎにされてしまったのだと、思えなくもなかった。


「また、来るよ」


 そう言って残りの餌を置き、帰ろうとすると、突然大きな音をたてて玄関が開いた。


「誰だ君は。ここで何をやっている?」


 チタンフレームの眼鏡をかけた初老の男と、若く屈強な男が、険しい表情で部屋に入ってきて、僕を見おろした。


「すみません。空き屋だと思っていたんですが、ここにいたうさぎが気になって餌をやりに来てました」


 老人は汚いものでも見るようにうさぎを一瞥すると、辺りを見回した。


「ここは私の家だよ。なぜ勝手に人の家に入って来て、薄汚いうさぎなんぞに餌をやっている?」


 僕はとっさに彼女のことは言わないことを決めた。彼女が誰かから逃げていたようなことを言っていたのが気になった。二人のどちらかが、あるいは両方が、彼女を追いかけている本人なのかも知れない。僕は緊張した。


「うさぎが好きだからです」


 そう言うと男は笑って、そばにいたうさぎの耳を握り、僕の顔のそばまで持ち上げた。うさぎが怯えてるのが分かった。


「学校ではそんなことを言えと習ったのかい?」
「それは、あなたのうさぎじゃないんですか?」
「ふざけんな!」


 そう言うと男はうさぎを壁に叩きつけた。短く悲しげな声を上げてうさぎは床に落ちた。壁にはべったりと血の痕をつけ、さっきまで僕に甘えていた動物は、ただの薄汚い固まりになってしまった。僕は奥歯をかみしめた。もう1匹もすぐに男の手に渡った。僕はまさかと思い、立ち向かって行った。でも背の高い方の男に頭をバスケットボールのように捕まれて、床から5センチほど持ち上げられてじたばたした。2匹目のうさぎも短い悲鳴を上げてすぐぐったりとした。なぜ、男達がそんなことをするのか見当がつかなかった。


「放せ、放せ、放せ、放せ」
 男は僕に言った。
「ここに女の子が、いただろう。知ってるな?」
「知らないよ!」
「探しているんだよ」
「知らないって」


 そこへ、生き残った最後のうさぎが飛びかかって、僕を捕まえていた男の指に噛みついた。男は声を上げ、僕は自由になった。そのすきに老けた方のすねを蹴飛ばして、外へ逃げた。うさぎは僕を助けてしまうとすぐに捕まって、同じように殺された。その悲鳴に僕は胸の奥をすっぱくさせながら、秘密の穴に駆けていった。穴の存在を知らないのか、男たちは僕を見つけられなかった。穴の中で息を整えながら、僕は二人がいなくなるのを待った。暗闇に目が慣れてくると、そこに彼女の匂いがそっと染み込んでいることに気がついた。柔らかい、日向の匂いによく似ていた。僕は膝を抱えて、じっとしていた。その間、短い夢を見た。彼女は遠くにいて、暗がりで悲しそうに笑ってた。僕はそれを夢と分かっていながら、もう覚めないで欲しいと思った。彼女は何かを僕にずっと言い続けていて、その声が聞こえなかった。



 そうして、数日後に白い家はたくさんのパトカーに囲まれた。僕は逃げ出したかった。頭がおかしくなりそうだった。僕にはどうしてもそれを受け入れることができなかった。


 その家で殺されていたのはやはり彼女だった。原因も身元も分からない少女の死。犯人の手がかりもまるでないとテレビは言った。彼女の体は裸のまま3つに切り裂かれ、そばにはたくさんの白い羽毛が舞っていたと言う。僕は泣き止まなかった。