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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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ロレッカ・ルッラの実験室


 まぶたに朝の日差しを感じながら、バニーは夢を見ていた。やさしい大きな雲に包まれる夢。全身を委ねていると、体がどんどん軽くなって、空も飛べるような気になった。天使に羽があるとしたら、それはきっと霧のようなものに違いない。バニーはいつもこの夢を見る度に思った。雲に抱かれ、雲をまとい、バニーは眼下に自分たちの住む島を見降ろす。私の育った母なる島だ。


 雲はバニーの体をやさしくなでている。ふくらはぎをなで、太股を這う。バニーは不思議に思った。そしてその部分が若く張りのある尻に到達した時、バニーは悲鳴を上げ、その方向を蹴飛ばした。気体のはずの雲から大きな手応えがあり、本棚からたくさんの本が落ち、花瓶が割れる音まで聞こえた。


「おはようございます」
 と伸ばした足を宙に浮かべたまま、バニーが言った。
「おはよう」
 と目の回りにバニーの足のサイズにそっくりな青あざをつけて、尻餅をついた博士が言った。


 バニーがロレッカ博士に拾われたのは2才か3才の時だ。自分の誕生日を知らないのだから、詳しいことはわからない。泥だらけの道路で、長雨に濡れ、空腹と寒さで泣いていた。そこへ大きな黒い車がやってきて、バニーの前に停まった。ぴかぴかのドアが開き、滑らかな生地のスーツを着た熊のように大きな男が現れた。それが博士だった。博士は泣いているバニーの手を取り、ホテルに連れて帰った。白いタオル、温かなスープ、最初の思い出はそんなところから始まっている。サンタのようにあご髭を蓄えた博士には奥さんも子供もいなかった。きっと寂しくてバニーをホテルに呼んだのだと思う。博士は夕食を与え、バニーが孤児であることを知ると、養子として迎え入れた。自分の島で孫のように育てた。バニーは今年で17才だ。なぜかいつもセクシーな服しか着させてもらえないけど、そんな服しか知らないので、バニーは何とも思っていない。バニーという名も、バニーガールが由来とも言われている。


「おはようございます、博士」
「おはよう」


 寝癖でもじゃもじゃの頭で、博士は改めて研究室から現れた。あご髭をぼりぼりと掻きながら、寝間着代わりのストライプのスモッグのまま、食卓に座った。


「ふむ‥ ピンク色だな」


 寝ぼけた声で目玉焼きを見て笑った。目玉焼きがピンク色の時はいつもいいことがあった。こないだは反重力反応炉の基礎理論が完成したし、その前は恋愛感情測定ゴーグルが島のヒット商品になった。博士はにやりと笑って、さっきまでこもっていた研究室の方を見た。


「昨日も遅くまでやってらしたんですね」
 バニーは今日も真っ青なチャイナドレスを着て、にっこりと笑った。
「あぁ、もう時間がないからな」
「もうずいぶん、大きくなりましたものね」
 窓の外には落ちて来そうな太陽が浮かんでいて、それは実際、もうすぐここへ落ちてきそうなのだった。島の預言者は言った。
「終わりの時は来た。すべての審判が下る。神は御子だけを安住の地へ連れて行かれる。皆のもの、今からでも遅くはない。すべての欲を捨て、神を尊び、祈りを捧げよ。祈れ、祈るのだ」
 ところがその島には神や宗教や信仰心のようなものはなく、生や死に関しても独特の価値観を持っていた。その価値観とは簡単に言うとこういうことだ。
「何事も、本来そうあるべき姿に帰る。光も、風も、命でさえも」
 要するに太陽が大きくなって島にいつ落ちて来ようが、関係ないと言えば関係ない島なのであった。洗濯物がいつもより早く乾いて助かるという主婦さえいるくらいだった。


 とは言え発明博士ロレッカ・ルッラである。こんな世界の果ての島で、彼がなぜ発明を続けるのか誰も知らない。遠く海の向こうにあるという大陸(そこにはみんな博士のような巨体で髭だらけの人種ばかりが住んでいるらしい)で、追放されるような悪事を働いたからだとか、より未開発な土地の治水や技術力を上げるために旅を続けているのだ、とか、単に人のいないところで研究に打ち込みたいだけだ、とかいろいろ噂はあったけど、どれも定かではなかった。彼が太陽が大きくなってきたことに気がついたのは2年前のことだ。黒くすすを塗った望遠鏡で、いつもの倍率で太陽を見たら、ファインダーからはみ出してしまった。錯覚のはずがなかった。それはわずかではあったけど日に日に大きくなっていった。半年後には2倍になり、1年後には4倍を越え、今や16倍以上に大きくなり空を埋めている。むかし月や太陽が高く昇ると小さくなって見えるのは、空には他に大きさを比較するものがないからだと聞いたことがあったけど、そんなのは嘘だと分かった。だって単純にでかい。空を半分近く埋め尽くす太陽を見て、誰がそんな比較論を持ち出すというのだろう。


 ロレッカ博士の計算によれば、膨らんだ太陽がこの島に接するのは、2週間後ということになる。それまでにあの太陽をどうにかして縮ませるか、迂回させるか、島の住人全員か、島自体をどこか遠くに逃がすかしなくてはならなかった。


 しかしロレッカ博士のとった方法はそのうちのどれでもなかった。博士が作ったのはこの地球を反対側まで掘り進むもぐら型の乗り物だ。なぜそんなものが必要なのだろう。地面を深く掘り進めば、世界の裏に出るはずだ。世界の裏にはこの平らな地面を支えるだけの何か巨大な流動体があるに違いない。火山の溶岩のようなものかもしれないし、ゼリー状の何かかもしれないし、地盤を支える象か亀がいるかもしれない。その巨大なエネルギーに向かって穴を掘り進むことによって、風船に小さな穴を空けたようにその流動体が噴き出して、目の前に迫った太陽をどこかにちょっと押しのけられないか?というものだった。


 程なく機械は完成し、島の村人達が集まった。
「裏側に行ったら、手紙くれよな」
「美人さんがいっぱいいるかも知れねぇ、おいらもつれてってくんろ」
「あんまり無理してからだ壊すなや」
「おいしい木ノ実があったら、種を持って帰って来ておくれ」
 大半がのんきで、観光気分だった。バニーだけが真剣だった。
「無事に帰ってきてください、博士。本当は私も連れて行ってほしい」
「分かってる」
 と博士は言った。
「わしも連れて行きたいよ。でも設計ミスでな、一人乗りになってしまったんじゃ」
 そう言っていつもの顔で笑った。バニーはそれが嘘だと言うことをわかっていたけど、何も言わなかった。博士は設計ミスをしたことなんか1度だってないのだ。自分が生きて帰って来れない可能性を思い、はじめからそう設計したに決まっていた。


「じゃあ、行って来る」
「はい」


 キャノピーが閉じ、バニーは動き出したそのもぐら型の機械を追いかけた。
「博士!」
 博士はゴーグルをつけ、勇ましく操縦管を倒した。機械は頭を軸に立ち上がり、地面に大きな穴を開けて、その大きな体を沈めていった。


 涙がこぼれた。まぶたが熱くてたまらなかった。地球の裏側なんて、本当にあるのだろうか。あったとしても、そこは人の生きられるような空間なんだろうか。地面を支える巨大な象や竜が博士を襲ったらどうしよう。バニーは心配で夜も寝れなかった。


 1日が経ち、2日が経ち、1週間経っても島には何の連絡もなかった。今まで通りふつうに太陽が大きくなって、夜という時間がほとんどなくなったことを除けば。


 バニーはチャイナ服の汗ばんだ胸元をはだけながら、平たい雑誌で仰いだ。博士はちゃんと地球の裏側にたどり着けたのだろうか。無事でいるのだろうか。


 睡眠不足が重なっているせいもあり、バニーはばてていた。太陽は空より大きく広がっているように見える。海もぐつぐつと煮立っていて、渚には煮魚が打ち上げられた。庭に空いた大きな穴をのぞき込む。


「博士ー!」


 何度呼んだって、そこには真っ黒い闇が続いているだけだ。あまりに深く黒いので、まるで黒いシートがしいてあるようにも見える。


 バニーは腕をまくり、毎晩考えていたことを実践することに決めた。この穴に飛び込もう。この穴は博士が掘り進んだ穴なのだ。ここから飛び込めば、私の体は必ず博士のところに到達する。太陽が私たちの島を焼き焦がすまで、このまま会えずにいるなんて耐えられない。博士は私の命の恩人で、父親なんだ。この世界でたった一人の家族なんだ。そう思うと、もう飛び込まずにはいられなかった。


 村人達は暑さにやられて、地面でうなだれていた。空の全部が太陽なので日陰もなくなっていたし、黄金に輝く海面のきらめきは眼に刺激的すぎた。バニーは小さい鼻にサングラスを4つも掛け、裸になった。影のない世界に形はない。若い娘が裸でいても、誰の目に見えない状態だった。影と言えば、博士の掘った穴だけが、この島唯一のものだった。バニーは祈りを上げ、十字を切ると、両足からその穴に飛び込んだ。


 暗闇に吸い込まれて、ふわりと浮かんだような気になった。あまりに深く暗い穴なので、方向感覚がおかしい。どんどんどんどん落ちて行きながら(たぶん)、バニーはいろんなことを思い出した。博士に子供の頃聞かされた「不思議の国のアリス」の話し。あれは井戸を落ちていったんだっけ。底にはふんわりと着地して、大きな部屋で小さくなる薬を飲むんだっけ。この穴の向こうにも懐中時計を片手にあせっているウサギがいるかも知れない。博士に言わせれば、世界の裏側には私たちと同じように、誰かが生活しているらしい。私もそれには何となく賛成したい。だけど、博士にも答えられないのは、その人達がどのような向きで生活しているのかということだ。逆立ち? ぶら下がり? それとも鉄板を敷いて、磁石のついた靴をみんな履いているのかな。博士もうなることしかできなかった。


 穴は落ちて行くに従い、どんどんと空気が冷たくなった。くしゃみが止まらない。バニーは裸になったことを後悔した。足下をじっと見つめてみる。遠くに小さく光るものが見える。ひょっとしたらあれが博士の乗り物かも知れない。バニーは持っていた傘を開く準備をした。傘を開けば落ちる速度は遅くなるはずだ。予想以上に光が近づく速度は速かった。風圧の中、やっとの事で傘を開く。腕が強く持って行かれる。ちぎれそうだ。何とか耐えた。ふわりと見慣れた機械の後ろに着地した。掘り進む機械を叩いて、博士を気づかせた。


「どどどうしたんじゃ、バニー」
 驚く博士をそっちのけでバニーは何度もキスをした。
「博士、博士、博士、博士!」
 裸なのも忘れて、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を押しつけた。
「もうすぐなんじゃ、肝心の所だ。あと岩盤を一枚抜けたところで向こう側に到達する。新世界じゃよ。世界を救えるはずなんじゃ」
「博士、もういいよ。帰って一緒に暮らそうよ。みんなのこととかどうでもいいよ」
 バニーは聞き分けのないことを言って博士を困らせた。博士の疲れてやつれた頬がいたたまれなかった。
「バニー、聞いてくれ。わしは向こう側に行きたいんじゃ。これは昔からの夢なんじゃ。わかるじゃろ? みんなも助けたいが、向こう側も見てみたい。それさえできれば、満足なんじゃ」
 バニーは涙を拭きながら、しゃっくりを続けた。
「博士がいなくなる気がしてこわい」
 そう言うと博士は笑って見せた。
「大丈夫じゃ、この機械はちょっとやそっとじゃ壊れない。なんせ、わしの設計だからな」
 バニーは全然泣き止まなかった。
「博士と一緒に連れてってよ」
 そう言って聞かなかった。でも機械は一人乗りなのだ。博士は弱ってしまった。ここに置いてくわけにもいかない。仕方なくキャノピーを開けたまま、運転席でバニーを抱っこする形で乗せることに決めた。
「いいか、バニー。この岩盤がくせ者なんじゃ。堅くてかなわん。ドリルもいつまでもつかわからない。しかしここさえ抜ければ、新天地にたどり着くはずなんじゃ」
 がりがりと悲鳴を上げながら、ドリルはその岩盤を突き続けていた。摩擦でドリルの温度は最高まで達し、岩盤の厚みより先に、ドリルが熔けてしまう可能性の方が高かった。


「がんばれ、あと一息じゃ」


 計器までもが熱を放ち、警告音は止まらず、異常な数値を指している。博士はがたがたと震える操縦管を握りしめ、バニーもその上から抑えるのを手伝った。汗がにじんで計器板に落ち、音を立てて蒸発する。警告音までへんてこなリズムを刻み始めた。もう、限界だ。


 とその時、ドリルの先がすっと岩盤の奥に飲み込まれた。


「あ」
「やった」

 ドリルの先から新世界の光が溢れだし、博士とバニーは目を見張った。向こう側にも世界はあったんだ。しかし次の瞬間に訳が分からなくなった。


 悲鳴さえも出なかった。そこから溢れてきたのは大量の海水だった。なんてことだ。新世界はあった。しかし、自分の島の裏側が海だとはこれっぽっちも考えていなかった。キャノピーを開けたままでいたせいで、二人はあっと言う間に海水に飲み込まれむちゃくちゃになった。今まで掘り進んできた道を煙突を追われたサンタクロースのように逆行してゆく。乗り物は宙に舞い上がり、海水は島の穴から高く高く吹き上げ、やがて大気圏を越える水柱となって、太陽に直撃した。


 バニーは一人、乗り物に守られて着水し、無事、島に戻ることができた。太陽は穴から吹き上げた水柱でみるみる温度を失い、昔ながらの大きさに戻った。村人達は喜んだが、バニーにとってはどうでもよいことだった。博士が帰ってこないのだ。父として育ててもらった博士を、それも自分のわがままのせいで。


 バニー何日も泣き通したが、村人達は「本来あるべき姿に戻っただけだ」としか慰めてくれなかった。バニーはみるみる痩せていった。村人達の持ってくる果物も喉を通らなかった。1週間が経ち、バニーはついに博士の葬式をすることに同意した。博士の買ってくれた青いチャイナドレス、バニーガール、看護婦の格好に順に着替えて、バニーは失ったものの大きさをかみしめ、涙を流した。村人達はそれには構わず、たんたんと儀式をすすめた。平たい木材に名前を刻んだだけの墓標。


「ロレッカ・ルッラ」


 彼がいなければ、今この島は大きな太陽の一部だったに違いない。でも、そんなことに村人達は無関心だった。命は木ノ実のように、太陽を全身に浴びて、熟れて落ち、また生まれくるものなのだ。でもバニーには耐えられなかった。毎朝、足や尻をなでてくるいやらしいあの手だって、今じゃすっかり懐かしい。あれがないと一日がちゃんと始まらないような気さえしてくるものだ。目を閉じる。あの節くれだった大きな指が私の足をなでている。なんか、本当になでているみたい。身を任せてみる。温かい、博士の指‥。


「?」


 バニーは振り返った。そこにはずぶぬれでぼろぼろのシャツを着たロレッカ博士が、本当に脚をなでていた。


 村はわき返った。お祭りだった。島に空いた大きな穴は、いつまでも話しの種になった。