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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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失くした半分


 落ちてきそうに大きな月の下で、半分に切り取られた太陽のことを思い出した。君の持っていった僕の半分を、今ならぎりぎり許してあげられる。あの夏に落ちた穴の底から、切り取られた空と切り取られた半分の太陽を見上げて、僕もずいぶん年をとった。残りのかけらもぼろぼろだ。いつになったら僕は僕に戻れるのだろう。暗黒の時代にピリオドを打てるのだろう。真っ白い太陽がからからと笑っている。


 神社の裏山に君は僕を誘ったんだ。大事な秘密があるからっていくつもの誓いをかわさせて、真夏の太陽の下へ連れ出した。君は虫かごを持ってこいとは言わなかったけど、きっと僕はカブトやくわがたの集まる木を教えてくれるものとばかり思っていた。いつもそういう特別な秘密を教えてくれたからだ。でもそうじゃなかった。


 色の白い女みたいな奴だと初めて君を見たとき思ったよ。目が大きくて、真っ黒な髪の毛を他の子とは違う感じに切り揃えてた。大人の前ではいつも黙ってにこにこしているいるくせに、僕と二人でいる時は急に威張り始めたりする、ちょっとませた子供でもあった。転校してきた理由も家庭の事情が複雑だから、という噂だった。彼が僕をどう思っていたかは知らない。でも、行きも帰りも彼は僕を待っていた。望んだ訳ではないのにいつも二人だった気もする。そしてそうしたときにしか見せない彼の性格を、僕は他の生徒よりずっとたくさん知っていた。多分一番知っていたんじゃないかと今でも思う。


「 ねぇ、何度も聞くようだけど」
 いつもみたいに細く長い指先を僕の手に絡ませながら、そう聞かれた。
「僕のこと好きかい?」 
「‥嫌いじゃないけど、でも、どういう意味?」
 彼はいつも二人きりになると僕と手を繋ぎたがった。振り払ってもまた手を取る。寂しがり屋なのかも知れないけど、ある時は物陰で蹴飛ばされたりもするので、僕は何か言われる度にいちいち警戒する癖がついた。
「女の子といるときみたく好きかって意味さ」
 いたずらっ子と言うより、いつも機転の利く悪魔のように笑う。
「女といるみたいに? 女となんかいるよか、楽しいに決まってるよ」
 それを聞いて、僕は不自然なくらい鼻息を荒くした。
「そうかい?」
 と彼は言った。小学生の間では女の子と遊ぶような奴は、友達がいないか、スケベかのどちらかだった。ホントは、がさつな男の子たちと品のない遊びに興じるより、女の子とおままごとや、お茶とお菓子を前に静かに漫画を読んだりする方が、僕にとってずっと贅沢で楽しい時間だった。でもそれはみんなには内緒だった。


「君は? 僕といて楽しい?」
 そう切り返すと彼はまた大人みたいな溜息をついて、答えまでの時間を引き延ばした。
「‥まぁまぁだな」
 とふてくされたように言いながら、嫌そうに笑った。その間、彼はゆるんだ僕との指の間をまた握りなおして密着させた。僕はいつものことなのでさせたままでいたが、手にかいた汗が、慣れないデートをしている時みたいに気になった。彼の言葉と行動の間にはいつも何らかのずれがあった。綺麗だと言って捕まえた大きなアゲハ蝶の羽をむしってしまったり、好きという女の子の机に、体中に油を塗った裸の男の写真の切り抜きを入れておいたり、道を歩く猫を抱き上げ、やさしく構ってから、川に放り込んだりした。それ以外にも彼の行動にはいろいろわからないことが多かった。でもそれはきっと大人になってからもわからない種類のずれだろうな、と子供の僕は思った。それより、じらした挙げ句に言う彼のyesでもnoでもない答えが、幼い僕にはとにかく大人っぽく見えたものだ。


「ねぇ、まだ? どこまで行くの?」


 息を切らせながら、神社の裏山を登っていった。彼はその声にちらりと腕時計を見たが、返事もせずにただ熊笹の中を進んでゆく。こんな彼は珍しかった。僕は仕方なくその背中を追った。半ズボンから伸びた足が切れて痛がゆい。家の風呂に入ったら、きっとすごくしみることだろう。泥のついた靴や靴下を見て、剣幕になる母親の姿も目に浮かんだ。


「疲れちゃったよ、少し休もうよ」
「黙ってついてこい、秘密、見たいんだろ?」


 そう言って彼は僕の前に人参を吊した。でも実のところ、僕は秘密なんかどうでもよかった。神社の裏山にあるものなんか、カナブンしかいないくぬぎの木か、雨に濡れた大人の雑誌がせいぜいなのだ。男の子と遊んでつまらないと感じるのは、そうした想像を裏切らない世界の狭さだった。いつも決められた庭の中で遊ばされているみたいに感じられた。しかし彼は強い足どりで裏山を登っていった。その間、何度か腕時計に目をやった。気圧や気温も計っていたが、それは多分格好を付けただけだろう。僕は額や首に伝う汗を拭った。


「間に合ったみたいだな」


 小さく開けた土の上に出て、彼は満足そうに腰に手をやった。セミや鳥たちが僕らを取り囲むように激しく鳴いていた。そこには黒いごみ袋に包まれた何かがあった。彼はにやにやしながら屈み込んで、その包みに手を伸ばした。汚れがないことから察するに、それは彼が事前に用意したものに違いがなかった。僕はまた何かの死体だったらどうしようと思って、少し警戒した。実際そういうことも何度かあったのだ。僕が怖がるのをおもしろがって、彼はよくそういうことをした。しかし中から出てきたのは白いろうそくと板ガラス2枚だった。


「行くぞ」


 いつになく明るい面もちで彼はそれを持ち、薮の向こうへ向かった。土地の管轄が変わるのか、そこには錆びた鉄条網が貼られていた。しかし、しゃがんで薮の下からのぞくと、うまい具合に子供が一人くぐり抜けられるだけの穴が空いているのだった。きっとこれも彼の仕業なのだろう。僕は黙ってついていった。金網を抜けると薄暗い森の中から途端に世界が開けて、高い丘の上に出た。僕は驚いて思わず声を上げた。街の全部がそこから見渡せた。学校や僕の家も見える。そんな場所があることなんてまったく知らなかったし、予想もしなかった。僕はなんだかいい予感がした。

「どうだい?」
 自慢げに彼は言った。
「‥すごい」
 と僕は言った。
「さて」
 と彼は言って、ろうそくを地面に刺し、ポケットからマッチ箱を取り出し火をつけた。僕は何をするのかわからなかったけど、その火が消えないように両手で覆って風を妨げた。
「消すなよ」
 と彼は言って、そっと立ち上がり、ガラス板を持って帰ってきた。
「こうやってあぶるんだ」
 両手でガラス板の端を持ち、ガラスにすすをつけた。煙たかったけど、ガラスはみるみる黒くなった。
「いい、オレがやってやるよ」
 僕の不手際が許せなかったのか、彼は僕の分も結局自分でやってしまった。
「間に合わなくなる」
 彼はそう言う間、何度も空と時計を見た。普段見慣れない火を見たせいもあり、僕は儀式めいた彼の行動に胸を高鳴らせた。


「持ってきな」


 程良く黒ずんだガラス板を持って彼の後についていった。気のせいか、辺りがほんのり暗くなって来た気がした。あんなに晴れていたのに? 見上げると雲ひとつない。鳥の声も聞こえなくなった。
「これで見るんだ」
 彼が言って、僕もそれに習った。
「あ」
 僕の胸は黒いガラス越しの太陽でさらに高鳴った。
「月?」
「太陽だよ、日食なんだ」


 そこには見慣れない欠けた形の太陽が輝いていた。何度もガラスを外して見比べたけど、光が強すぎてガラスを通さないとその形はわからない。僕はやきもきした。
「どうだい?」
 と彼は言った。
「‥すごい」
 ガラスから目を離せずにまた同じことを言った。
「もっとよく見たいかい?」
「うん」
「そこだと位置が悪い、あまりよく見えないだろう?」
「うん」
「少し下がってごらんよ、そう、そう、いや、もう少し左だ」
 言われるままに下がったり、横に歩いてみたりしたが、特に視界が変わっているようには見えなかった。
「こ、こっち?」
「あと一歩前」
「こう?」
「そう、そこ! そこで前に飛べ!」


 ガラスを手に見上げたまま、僕は飛び上がった。飛ぶなんて行為に何の疑問も持たなかった。そして次の瞬間、何が起こったのかわからなくなった。着地するはずの地面が消えて、僕は両足から黒い何かに吸い込まれていった。


「うわぁああああー」


 尖ったものや、べたべたしたものや、粉っぽいものに触れながら、僕はその中に吸い込まれていった。やたら長い時間に感じられた。やがてどすんと大きな音がして、それが底についた自分の尻餅だということに気がついた。


「ははははははは‥」


 空から笑い声が降ってきて、僕は打った背中で呼吸もままならなかった。やっとのことで、その方を見上げた。ずっと向こうに光る丸い輪と両手を組んで笑っている君がいた。僕はやっと自分が落とし穴に落とされたことに気がついた。僕は何度も咳込んだ。擦り傷もずいぶんあった。持っていたガラスも割れて、地面についた肘に刺さっていた。そっと抜いてみたが痛みはなく、生温い血がしたたり、泥汚れの間から流れて落ちた。


「ひどいよ」
 立ち上がって僕は言った。
「ここから出してよ」


 彼はにやにやして何も言わなかった。いつもの残忍な目を輝かせて、逆光の中に立ちはだかっていた。穴は深かった。身長の3倍はあったから、4メートル近くあったんじゃないかと思う。彼がいつどうやってこの恐ろしく深い穴を掘ったのか、僕にはまるで見当がつかなかった。土の壁はひんやりとしていた。僕は心の底から少しずつ怖さが吹き出してくるのを感じた。


「助けて、ねぇ、助けてよ」
 あまり媚びるような声を出すのも、彼をつけあがらせるだけだと経験上わかっていたけど、もうそんなことにはお構いなしだった。
「助けてよ、ここから出してよ、お願い、お願いだから」
 そういう哀願の声を、まるで香水でも浴びるみたいな恍惚の表情で、彼は祈るように両手を広げ、天を仰いだ。
「何でも言うことを聞くよ」
 たまらず僕は言った。
「早くここから出してよ」


 切れた肘から、心臓の鼓動に合わせて痛みが始まっていた。僕は生きている。血は指先まで伝い、地面に落ちて吸い込まれる。今は生きている。でもこれからも生きていけるのか? 僕はどんどん弱気になってくる自分をもう抑えられそうになかった。


「君を半分くれ」


 突然、彼はそう言った。
「何? 何をくれだって?」
 聞き間違いだと思って、僕は耳に手をやって聞き直した。
「半分だけ、君をくれ」
 僕は口を開けたまま、シルエットの君を見上げた。
「‥どうやって、あげたらいいかわからない」
 慎重に僕は言った。
「半分でいいんだ、半分で‥」
 彼が何を言っているのか、僕には理解ができなかった。しかし現実問題、今ここから僕を引き上げてくれるのは彼しかいそうになかった。真剣な顔つきで僕は言った。
「わかった、あげるよ。半分でいいんだろ? あげるから、僕をここから助けてよ」
 やれやれと言う風に彼は首を振った。
「わかっちゃない、君は全然わかっちゃないんだな」
 そう言ってふらりと穴のそばからいなくなった。
「考えてものを言ったほうがいい。また明日来るから、そこで考えておきな」
 僕は混乱した。この穴の中に明日までいろだって? また明日来るからそれまでに考えておけだって? 肘からこんなに血が出ているって言うのに?


 僕は叫んだ。泣いてわめいて、取り乱した。懇願、憎悪、絶望、ありとあらゆる言葉を放った。だけど何も起こらなかった。世界は薄暗い青空を広げ、黙ったままだった。


 不吉に暗い太陽が穴の底の僕をのぞき込んでいた。このまま、こんな薄暗い穴の底にいて、腹をすかせて死んでしまうのかと思うとやるせなかった。「僕の半分」ってなんなんだ。何でそんなものを彼は欲しがったんだ? いくら考えてもわからなかった。肘を上げて汚れた傷をなめた。金属のような味がした。腹が減ったと思った。欠けた太陽を見上げて、何度もため息をついた。僕は惨めな気持ちの中でやがて考えることにも疲れ、膝を抱えて両目を閉じた。自分の息が膝の間でやたらと熱く感じられた。やがて日は陰り、虫の鳴き声が聞こえ、土の匂いと湿り気が体を芯から冷やしていった。


「‥た、ここだ、ここにいたぞ!」


 辺りはとっくに夜になっていた。慣れない眩しさの中で顔を上げると、大人たちが穴の上に集まって懐中電灯の光を注いでいた。


「○○君だね?」


 返事をしたくても声が出なかった。乾いた喉で何度も頷いた。寒くて体中が痛かった。


 その日の内に僕は助けられた。母親は泣いて僕を抱きしめた。僕は安心させようと笑って見せた。父親は毛布にくるんだ僕をおぶって山を降りた。僕は安心してその背中で眠った。麓で赤いパトランプが回転しているのが見えた。僕は揺られながら、暖かな布団のことを考えた。


 その後、何事もなかったみたいに普通に学校生活は続いた。あの夜、彼に連れられて山に登ってああなったんだとあらゆる大人に説明したはずなのに、それきりだった。何事もなかったみたいに夏休みが終わって、終わってみればいつもの夏休みと変わりがなかった。肘には長く鮮やかにあの時の傷が残っていたけど、誰もその日のことを聞きたがらないので、僕も自分から進んでは言う気がしなかった。見た目はともかく、痛みさえ嘘や夢のように今では思えてきた。


 居心地の悪いまま、彼と二人で帰る日々も続いていた。僕は感情を閉ざしたまま、彼と手を繋いで、毎日、帰途へ着いた。そうすることがいいことだとは思えなかったけど、他に違った方法を探す労力の方が僕にはばかばかしく思えた。いつしか彼は転校してしまった。でも本当は死んだって話を誰かから聞いた。たぶん本当に死んだ気がする。




「ねぇ」
 と抱き寄せた腕の中で恋人が甘えた。
「月ってどうして欠けるの」
「半分は太陽が持っていったんだ」