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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

ステレオフォニック


 レモンの形は心臓に似ているねとか何とか言いながら、君はその窓から出ていったのだ。あまりにさわやかな笑顔だったので、そこが3階だと気づかなかった。まるでプレゼントを渡し終えたサンタクロースみたいな顔で、君は永遠へと飛び立った。葬式が終わった次の夜に、二人の天使がやってきた。天使たちはあらかじめ決まっていたみたいに僕の部屋に住み着いた。


 両腕に裸の女の子が眠っている。僕はまた狼のことを考えた。森の向こうから狼がやってきて、狩人がその鳴き声を聞く。耳を澄まし、そして歩き出す。獲物はこっちだ。なぜならそれは声が聞こえた方角だから。でもそれは本当のことなんだろうか。その声を信じてライフルを持った狩人は狼をしとめられるだろうか。声がした方向に必ず狼はいるんだろうか。僕はその答えを知っている。狼のいる場所を探すことができる。そしてそれはそんなに難しいことじゃない。彼女たちと暮らしていれば、自然と答えに導かれてしまうものだ。


 ところで昔、僕は絵を描くのが好きだった。放課後、真横から当たるオレンジ色の太陽の中で、いつも理由のない石膏デッサンに明け暮れた。実のところ絵なんかどうだっていいのだ。家に帰らなくてすむ理由と、学校に残れる理由と、親からお金をせびれる理由が欲しくて、美術部に入った。そんだけなのだ。


 校庭から聞こえる体育会系のかけ声、へたくそな吹奏学部の練習、4時きっかりに始まる屋上の演劇部の発声練習。美術室は他のどの部屋より静かで、変なものがいっぱいあって、先生が先生らしくなくていい。僕は勝手にコーヒーを淹れて、写真雑誌の裸の載っているページばかりを眺めて過ごした。それにも飽きてしまうとヌードばかりを切り抜いて、100号の壮大なコラージュを作ってみた。なぜかそのコラージュは都知事から賞を取って、美術館に飾られたりした。ぼーっとして、ふと思い立って何かを作り上げ、またしばらくぼーっとするのが僕の創作スタイルだった。女の子部員後輩は言う。


「何でいつもそんなことを思いつくんですか」
「手を動かしているうちに何かできあがっちゃうんだよ」


 言ってみていやらしいなと思ったが、それはまんざら嘘じゃなかった。僕という空いている肉体があって、それを利用して何かが降りてくる、そんな感じだった。そんな風に思いつき思いつきで作ってたまった作品を、その後輩が整理して個展風に展示してくれたりもした。もちろん見に来てくれるのは近所の主婦とかばかりだったけど。


「辛かったの?」
 天使の右が僕の耳を撫でながらそう聞いた。いつも唐突なんで何を言われたのか1回聞いただけじゃわからない。
「辛い? 何が?」
「彼に死なれてしまって、つい、そんなたくさん絵を描いたんでしょう」
 僕は笑った。
「全然そんな絵じゃないよ、ただの絵だ、趣味の」
「レモンの絵は? 描かなかったの?」
 天使の左が聞いた。
「レモン‥、描いたかも知れないけど、別にそういうつもりで描いたわけじゃない」
「ふうん」
 天使たちは不満そうだ。


 それからその高校は、彼が死んでしまったこと以外は何のメリハリもなく卒業してしまった。アトリエに通っていたせいもあるけど、友達らしい友達も高校にはいなかった。だから高校時代で連絡を取り合うのはその後輩の女の子ぐらいしかいなかった。彼女は美術の道をあきらめて、普通の大学に通っていたけど、ときどき僕の描く絵を見に家に遊びに来た。そして昔と同じように個展の手配をしてくれるのだった。


「僕の絵なんて見ても多分ちっともおもしろくないと思うんだ」
「そんなことないです。きっとみんなこれを見たら、もっと他の絵も見たくなると思いますよ」
「そうかなぁ」


 僕は半信半疑だったが、彼女のマネージメント的な才能もあり、その個展は成功を収めたのだった。冗談でつけた25万の値札にその場で小切手で切る客もいたくらいだから、成功と呼んで間違いではないと思う。テレビや活字でしか見たことないような偉そうなじいさんたちもどこから聞いてきたのかやってきて、それらしい偉そうなことを言って帰っていった。普段会えない友人たちから最近よく電話や手紙が来るなと思ったら、テレビでもちょっと紹介されていたらしい。にわかな有名人だった。


「それでもあなたの心は虚ろだったのね」
 と天使の左が言った。
「虚ろ? どうして?」
「彼のことが頭から離れなかったわけでしょう?」
 僕は驚いて天使たちの顔を見比べた。
「‥どうしてそう思う? 思い出すこともときどきはあったけど、普段は別に普通だったよ。一時も頭から離れないなんてことはなかった」
「がんばって忘れようとしてたのね」
 と涙目になって天使の右が言った。
「よほど辛かったのよ、わかるわ」
 僕は面食らったが話しを続けた。


 個展が終わって、お礼も兼ねて二人で食事に行ったんだ。お金はあったからね。ちょっとめかし込んでいくようなところさ。彼女はわりと地味な感じの娘だったから、ずいぶん緊張していたよ。体をこちこちにして、ワインのグラスで乾杯って時も、合わせたグラスがかちかちって震えちゃうくらいなんだ。そんで、その日、僕は彼女にキスをした。横浜にある秘密のビルの屋上に昇っていろいろ話していたら、ちょっと風が冷たくて、肩を抱いたらそうなっちゃった。僕には彼女がいたけど、それはそれで悪くないとそのときは思った。


「彼女には悪くないけど‥」
 と天使の右が言った。
「そうそう」
 と天使の左。
「問題はそのビルの屋上が何階の高さに当たるかってことよね」
「もちろん3階だったんでしょう?」
「悲しすぎるわ、そういう偶然」
「辛いよねー」
 僕は落ちついて言った。
「何階建てかは忘れたよ、でも10階とかそのくらいは高かったよ。3階じゃなかった」
「10階? それは確かなの?」
「詳しく覚えてないよ。でもそのくらいの高さだ」
 それでも天使たちは言うのだ。
「本当は9階でしょう。9階ならわかるわ、3の2乗だもん」
「33階っていう線もあるわね、どう?」


 彼女はそれで僕が彼女の気持ちに応えたんだと思った。仕方ないよね。僕が逆の立場だったら、同じようなことを考えていたような気がするしね。ただ問題はその先だった。家に呼ばれて遊びに行ったんだ。お菓子とか出されてさ、個展のことをお母さんなんかにおもしろおかしく話した。そうしたらそこにお姉さんが帰ってきたんだ。僕は頭を殴られたみたいにくらくらした。
 お姉さんは彼女の双子の姉だった。それは聞いてて知ってた。でもそこでどういう訳か思いきり恋に落ちちゃったんだよ。ひどいよな。今でも理由はよくわからないんだ。でも部屋を空けて僕に照れながら挨拶するお姉さんを見て、僕はひとめでこれだ!って思っちゃったんだよ。


「双子‥」
「双子って、あたしたちみたいなことを言うのかしら」
 天使の右がそう聞いた。
「どうだろう、天使も同じ卵から生まれたりするの?」
「うーん、ちぎった雲から生まれるから、同じ卵と言えば同じだけど」
「それだと天使全員が双子になっちゃうよね」
 と天使の左。


 それから3人でなかよく遊ぶ日がちょっとの間続いた。でもやっぱり無理があった。ふとした隙に、3人より2人のほうが楽しいと思ってしまってばかりだった。僕はもうお姉さんに首ったけだった。そのうちお姉さんだけを呼び出して、何度かデートをするようになった。


「悲しいでしょう、そんなの」
「妹と同じ顔しているんですものね」
「キスしたのに」
「思い出しちゃうよね」


 3度目のデートの帰りに好きだと言った。妹さんも好きだけど、それとは違う気持ちだ。あなたに初めて会った時すごくどきどきしたし、そのどきどきは今も続いたままなんだと言った。でも振られた。お姉ちゃんには好きな人がいたんだ。残念だけど、仕方ないと思えた。そしたら、妹の方ももう会ってくれなくなっちゃたんだ。


「怒っているのね」
「そうなんだ」
「比べられて、放っておかれて、また帰ってきたのが気に入らなかったのよ」
「そうだね」
「レモンをあげたら?」
「レモン?」
「きっとわかってもらえるわよ」
「レモンで?」
「あなたの背負った悲しみが、それでそっと伝わるはずよ」
「別に悲しみなんか伝えたくないよ。数少ない友達をなくしたくなかっただけだ。ただ、原因は自分なんだけどさ」
「まず、わかってもらうのが近道よ」
「レモンが近道ね。それも歯形付きの」
「歯形‥」


 そうしてその妹がいなくなってしまってから、僕の才能と呼ばれるものや、お金や、浮ついた人達もいっしょにみんなみんないなくなっちゃったんだ。何かのおとぎ話か、ドラマみたいだった。新人作家気取りがあっと言う間にただのプーに戻っちゃった。でも僕はそんなことはどうでもよかった。もともと画家になりたかった訳でもないしね。それより彼女に会えないのが気がかりだった。今もまた昔みたいに会ったりしたいんだよ。でも電話にさえ出てくれない。どうしたらいいんだろう。


「大事にしなかったのに?」
 と天使の右。
「自分で壊しておいて、また時間をもとに戻そうって言うのね」
 と天使の左。
「都合よすぎるよな、確かに」
 僕は言ってみて情けない気持ちになった。
「飛び降りた彼は、あの教室に戻って来れた?」
「いや‥、そうだな。うん、そういうことだよな」
「あなたが大事に思ってあげてれば、あの窓から出ていくこともなかったんじゃないのかな」
「‥‥‥」
「欲しいものを欲しいという気持ちは素直だと思う。でもそれを選んだときに、選ばれなかった他のものを傷つけたり、捨てていることをもっと知るべきだわ」
「そうだね」
「そして選んだことであなたがちゃんと成功するのは義務だってこともわかって」
「傷つけたり、捨てたものに失礼だもんな、わかるよ」
「わかるの?」
「わかるよ」
「じゃあ、レモンを買ってきなさいよ」
 と天使の右。僕は溜息をついた。
「今すぐよ、新鮮なレモン」


 声をそろえ、両耳からまくしてたてられた。二人の声は両耳の間でひとつになり、僕の頭の中でぶつかって砕けた。裸のまま僕はベッドを追放された。さっきまで二人ともやさしく僕に甘えていたのに、どうしてこうなっちゃうんだろう。仕方なくジーンズをはいて、落ちていたしわくちゃのシャツを着て外へ出た。真っ暗で、冷たい夜の風が僕の髪の毛をめちゃくちゃにした。温かなベッドが懐かしい。とても惨めな気持ちだった。レモンを持って帰れば、天使たちは望み通り時間を巻き戻してくれるだろう。だけどこんな夜中じゃレモンを売っている店なんかない。コンビニだってないのだ。僕は煙草に火をつけて、さてどうしたものかと思った。アスファルトの上で震えながら、いくら考えても何も思いつかなかった。


 狼がやってくる。森の向こうから大きな白い牙を光らせて。果たしてそれは声がした1点からだけやってくるのだろうか? 答えは違う。狼はいつも1匹とは限らない。複数の狼が声をそろえて鳴いたとき、狩人は鳴き声の中心に1匹の狼のイリュージョンを見る。ステレオと同じ原理だ。狩人は、どこにもいない狼を探し、森をまっすぐ進む。彼が狼に出会うとき、彼は初めて挟み撃ちにあったことに気づく。その時にはもう手遅れだ。狩人がレモンを探しに夜の街をゆく。僕のレモンはイリュージョンじゃないといい。