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コミック「うさぎドロップ」とTOM☆CATの「TOUGH BOY」

風邪でうなされていたら、何でかわかんないんだけどもTOM☆CATの「TOUGH BOY」が頭をよぎって、週末エンドレスリピートして聞いてたんです。その昔アニメ「北斗の拳2」の主題歌だった曲で、最近ではMEGがカバーしました。



それと同時にたまたま原作版の「うさぎドロップ」を最後まで読み終えました。アニメ版のうさぎドロップが大好きで原作をその後読み始めたんですが、アニメ版は原作の前半で終了したので、その先の大きくなったりんちゃんの話はちょっと怖くて原作が読めなかったんです。男性視線の育児マンガっていう枠から、ファザコンブコメに移行する話だと思ったので。

で、まぁ時が経ったので、ついに最後まで読み終えて、僕としては90点ぐらいの胸いっぱい感があったんですが「なるほどなぁ、こりゃ否定派も多いわけが分かるわー」みたいな気持ちにもなりました。


で、ふと「TOUGH BOY」(北斗の拳の1部2部)と「うさぎドロップ」は似てることに気づいたんです。


うさぎドロップは、第1話で30歳独身のサラリーマン大吉が、心を開かない見知らぬ少女「りん」と出会って、引き取ることから始まります。二人には恋愛感情はなく、擬似家族のような信頼関係があります。同い年のわんぱくな男の子「コウキ」はりんに淡い恋愛感情を持っています。


第2部になると、りんはとても美人に成長してコウキと一緒の学校に通っています。大吉は自身の大きな恋愛をひとつ諦めます。コウキははっきりとりんに恋愛感情を持っていて、りんもそれに気づいていながらうまく受け止めることができません。りんは自分の中にある本当に大切な人の存在に気づき、コウキはやがてそれを受け入れ、りんの恋愛は成就します。


北斗の拳もその部分だけとってみるととても良く似ています。


20代の独身男性ケンシロウは第1話で心を開かない見知らぬ少女「リン」に出会います。リンには同世代のわんぱくな男の子「バット」がそばにいます。リンとケンシロウの間に恋愛感情はありませんが3人は擬似家族のような信頼関係を築きます。


第2部になると、リンはとても美人に成長してバットとともにレジスタンスを結成しています。ケンシロウは最愛の恋人「ユリア」を失い放浪を続けています。バットははっきりとリンに恋愛感情を持っていて、リンもそれに気づいていながらうまく受け止めることができません。リンは自分の中にある本当に大切な人の存在に気づき、バットはやがてそれを受け入れ、リンの恋愛をサポートする側に回ります。リンの恋愛は成就しません。


TOUGH BOY」が第2部の主題歌に決まった時、北斗の拳が本当に大好きだった僕は「ノリはいいけど、女性ボーカルでロックだなんてちょっと軽い感じがするなぁ」と否定的な意見を持っていました。またTOM☆CATも変なサングラスを掛けた一発屋ぐらいの印象でしたので、この曲はタイアップで広告代理店的な誰かに歌わされているものだと思っていたんです。


でも久々に聞き直すと作詞も作曲も本人がやっており、あの派手とは言えない女性がちくちくと北斗の拳の世界観に合わせたノリの良い曲と詞を考え、積み重ねた結果なのだと思うと、だんだん愛くるしくなって来ました。曲展開やドラマチックさ、歌い分けは元より、詞の内容が、ケンシロウではなくバットに注目していることに気づいたからです。


タイトルがまず「TOUGH BOY」。ケンシロウはまずBOYではないですし、ケンシロウに一番身近なBOYといえばバットしかあり得ません。また全体的にも「世の中は残酷だけど、こうやって出会った二人で手を取り合って前向きに戦っていこうぜ」みたいな、フツーの人を勇気づける励ましと、女性的(母親的)な暖かさを感じるんです。ケンシロウという世紀末を殺人拳法でがんがん生き抜くスーパーマンのことはぜんぜん歌ってないんですね。


世紀末は結局のところ、ノストラダムス的な大きなカタストロフもなく過ぎ、僕らは今、平坦で残酷な21世紀を生きてます。ある意味北斗の拳の荒廃した世界よりも、見た目以外はずっとずっと息苦しいのではないかと思うことも少なくありません。そうした中で、一番愛し愛されたい人が、自分以外の身近な人を愛していると知ったら、自分の気持ちを殺してでも支えてやるのが男だろ、みたいな、どんだけ報われないんだ感。でもそれが人生だよねっていう。そういう視点があるだけでもこの2つの物語はオトナっぽい味わいがあります。


身を引き裂くような悲しみをいくつも抱え、それを強さの糧にしていくというのは、北斗の拳でも描かれていましたが、無償のやさしさや愛情って結局、自分が今まで傷ついた分の奥行きでしか表現できないのかもな、とも思います。