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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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スーパーマリオサンシャイン

takanabe2002-07-29



やってますよ「マリオサンシャイン」! やばい!やばすぎ! ラヴフールをずっと見ている方には分かると思うんですけど、僕はもう任天堂の製品に弱すぎ! なんなんだ、あの会社。おもちゃの価格で、どこにもない「ワンダー」をいつも必ず届けてくれる。6800円で必ずびっくりさせますよって言われたら、どうよ? 安くはないけど、びっくりしてみたいじゃん。覚悟はいるけど、その覚悟にまず応えてくれる。そういう生活必需品ではない嗜好品に対するギリギリのやり取りをよく知ってる気がする。その中でも「マリオ」シリーズと「ゼルダ」シリーズは、任天堂のやる気の全部を詰め込んだ、すごい商品なんだよね。


スーパーマリオサンシャイン」は、ファミコンの「スーパーマリオブラザーズ」シリーズの最新作でニンテンドウ64で発売した「スーパーマリオ64」に続く、3次元アクションゲーム第2弾だ。プレイヤーはマリオというおっさんを、360度あらゆる方向に自由に動かして、いろんな世界のいろんな使命を達成していく。今回のマリオの使命は街中を汚す謎の液体を、背中にしょったポンプで洗い流して綺麗にすることだ。ポンプは放水するだけじゃなく、ジャンプした後、空中に一定時間留まるホバーの役目をしたり、新しいポンプ手に入れると、海の上や陸を水の力でダッシュしたり、10階建てぐらいの建物に飛び乗れるぐらいのジャンプをしたりすることもできるようになる。「サンシャイン」というタイトルから感じる夏の爽やかさを、水しぶきを操って全身で感じるわけ。溶けたアイスクリームのようなマーブル模様の汁を、透明な水で洗い流したときの爽快感は、青い空に白いシーツ!みたいな洗剤のCMとか、炭酸飲料が弾けて泡の向こうから美少女の笑顔のアップ!のCMのような気持ちよさがあります。このゲームのおかげで綺麗好きが増えたりすると、オタクの部屋ももう少し人間らしい部屋に近づくかもしれないね。


3次元アクションゲームと言えば「酔う」という話が決まって出てくる。これって操作の変化に視点の変化が思い通りについてこないから起こる現象です。「マリオ64」に関しても、3次元アクションゲームであると同時に、カメラ視点をプレイヤーが瞬時にさばき続けないといけない「カメラさばきゲーム」でもあったわけで、2次元が3次元に広がると、驚きや爽快感も増えるけど、手間はもっともっと増えるんだなと感じたのも割と最近の記憶です。あれから6年経った今回の「マリオサンシャイン」の画期的な点は2次元のアクションゲームにあった俯瞰的なカメラに仕上げたことでしょうか。マリオ本人の主観的な臨場感よりも、神様視点っぽく、画面内のマリオを見守ることに徹してる感じ。だから走り回りながらいろんな方向を向いても、カメラが遠い分、背景が激しく動くこともなく、酔わずにいられます。また今までだと、背景にカメラがぶつかって回りこめなかったところも、マリオを背景越しにシルエットで見せるような工夫があったり、カメラを遠ざけて全体を見渡したいときも、マリオの真上から見下ろす視点に近くなったり、左右にカメラを振ったときも、なるべく2次元のマリオに近くなるようなカメラの変化をしています。まだ完成されたとは言えないところもありますけど、現時点ではもっとも状況を把握しやすいカメラだと言えるでしょう。


そしてやっぱりアクションが多彩! これはもうフツーのゲーム会社に勤める人なら涙物の悔しさという感じの豪華すぎるアクションですね。ジャンプの快適さはもとより、瞬時にレバーを逆転した後のジャンプの横飛び、スピンジャンプ、壁ジャンプ、さまざまなポンプアクション、ヘッドスライディング、ヒップドロップ‥、もうきりがありません。そのどれもが気持ちいい。各エリアでクリアしなければいけないことも、これらのアクションを自由に組み合わせて、その人に合った解き方が出来ます。ゲームの解き方(設計の仕方)は一本道であるほうが条件が少ないだけ作りやすいんですけど、そういうプレイヤーが勝手に選ぶ曖昧さをリアルタイムに判断しつづけて許容できるシステム(つまり矛盾が起こらないようにプレイヤーが起こすすべての条件があらかじめ準備されているということ)というのは、多分数年かけて一つのゲームをしっかり作りこむ任天堂じゃなきゃ今のところ無理ですね。僕なんか砲台の球面の上に乗ったマリオの足の裏が、ちゃんと球面に反って乗っていることだけでで「豪華だなー」って驚いてます。どんなアクションとアクションを組み合わせても動作と動作の間に変なつながりがないのは相当な苦労です。「マリオサンシャイン」をただ呆然とプレイするだけだと「えーフツーじゃん」って思うかもしれないですけど、これをやった後に他のアクションゲームで同じことをやろうとすれば「できない」か「おかしい挙動をする」のどちらかです。アクションとアクションを組み合わせようとしても、2つのアクションの間にいろんな制約でがんじがらめにされていることに気づくと思います。あれだけ緻密に描かれたキャラクターのしぐさが自然に見えつづけるってことがどれだけものすごい技術に裏打ちされたものか、もう少しみんなに知ってもらってもいい気がします。(ゲームの面白さとは別の話ですけど)


そうした無数のアクションをふんだんに使ってクリアする各ミッションは、前作同様100種類以上用意されているようです。僕は今50近くをクリアしたところなので半分ぐらいマリオを見たことになるのかな。そこに用意された世界観の多彩さ、アクションの導き方(学習のさせ方)は本当に声も出なくなるくらい上手です。確かに見方によっては「約束事でがっちり固められた遊園地で遊ばされてる」っていう気持ちも何割かは確かにあるし、中盤からは複雑なアクションを強いられて、遊びというよりはほとんど部活並みのしんどさもあったりするんですけど、この感覚が「マリオ」にしかない「ゲームらしさ」であることには疑いの余地がないです。マリオはやっぱり新しいアクションをゲーム内で学んで、実践することを繰り返していくゲームですから(トライ&エラー)、今回のマリオが「難しすぎるよー」って思いつつも、数分後には投げ出したコントローラをまた手に取って再チャレンジしている自分に、またしても任天堂に「してやられてるよ!」って気持ちになるんだよね。


つくりの異常な細かさ豪華さという意味では「軽薄短小」を謳っている任天堂の姿勢からすると、なんかちょっと腑に落ちない点もあるんですけど、「ピクミン」のようにワンアイディアをワンゲームに絞り込みすぎたせいで、プレイスタイルの曖昧さを享受できなかったゲームに比べると「マリオサンシャイン」の持つ、プレイヤーがしたいことより一回り大き目の世界をあらゆる面において準備しておく豪華なゆるさは、任天堂の実績があってこそ出来る豪華さだよな、とも思います。端的に言うと、マリオ64はマリオがいろんなミッションをこなしていくゲームだったんだけど、今回のマリオはいろんなゲームをマリオが遊びに行く感じなんだよね。「マリオパーティー」的。ポンプを使って高く飛びつづけたり、水中探索するゲームは「パイロットウィングス」を思わせるし、イカサーフィンは「ウェーブレース」だし、巨大なボス戦はもうほとんど「ゼルダの伝説」の新作をやってる気分。町を歩いているときも、目にとまった看板や、空を飛ぶ鳥や、マーケットで売っている果物にそれぞれ反応が用意されている。ゲーム内ゲームというか、任天堂詰め合わせ。マリオは任天堂を代表するタイトルだけあって、このゲームのテイストが合わない人は、マリオというよりゲームキューブそのものが合ってないって言い切れちゃう感じだ。それだけ重要なコアがぎゅっと詰まっているわけ。


僕が特に気に入ったのは、ロープの上の弾力感、水をまいたあとにヘッドスライディングする気持ちよさ、最初のパックンフラワーが赤いパンツを履いていたところと、マンタの群集シーンをカメラを引いてみたときのやばさかな。この4つで1万円ぐらい払いたいね。


すべてのゲームがこのマリオになる必要はないし、単純に真似するだけでもできっこないんですけど、テレビゲームって画面の向こうで起こる「リアルタイムワンダー」のことだよなって定義したときに、そこに詰まっている喜びの多彩さは本当にとめどなくて、やっぱりマリオは2002年もゲームのど真ん中を貫いてるなって気持ちになれたのでした。短く言うと「任天堂はやっぱりすげえ」。そんな感じ。