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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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画期的なデザイン


何曜日か知らんけど深夜に「仕立屋工房」っつう番組あるじゃん。アレ大好き。今日会社で日経エンタテイメントを読んでいたら、あの番組進行している茶髪でサングラスなプロデューサーみたいな人が載っていたんだけれども、あの人、ただの構成作家なんすね。いや、ただのというと語弊があるか。超人気構成作家。ガチンコとか、電波少年とか、ええとあとは忘れたけど、レギュラーだけで19本掛け持ちらしいですわ。びっくりしたのはそこじゃなくて、いつも見ていると的確な質問を出場者やタレントに投げかけていたんで、てっきりアートの素養がある人だと思ってたんだよな。


ちなみにあの番組、僕は2点作品が並んだ時点で結果が100%分かります。いや、威張るとこじゃないですね。でも深夜番組だから「そうだよね!」って分かち合う人がいないのだった。寂しい。こういう時、同棲とか奥さんとかがそばにいる環境の人がうらやましいです。別に兄弟でもいいけどな。でも何もすることがない日にコイビトと見るテレビっていう、そういう空間はのんびりしてて好きだな。


話が反れました。洋服は工業製品のデザインと決定的に違うところがあって、用途と機能が必ずしもカタチを限定しないっつうか、わりとやっちゃったもん勝ちな部分があるね。こっちの方がもっとすげえだろっていうかね。だから絶対評価ではなく、やっぱ相対評価で計られるものだと思うんだよ。だけど、お洒落と言う観点からするとそれだけじゃまずい気がする。常識からかけ離れてはいないけど、なんかちょっとだけみんなと違うっていうのがお洒落なんじゃないのかな。大屋政子のファッションはなかなか理解されないもんな。よくお洒落に関心の高い人が、個性を主張してるって言うけど、それは嘘だよね。みんなって言う総体に対して、どうピントをずらしていくかってことを「個性」とすり替えているだけで、この場合の個性は絶対的なものじゃないはずです。正義とかと一緒だな。


書いててだんだんわかんなくなってきた。ええと。違う切り口から行くと、あの番組で服を着るのは大抵タレントじゃないですか。タレントにはあらかじめこう見られたいと言うイメージがあるので、そこを服が主張しすぎてそのイメージを邪魔してしまうとやっぱりいい印象がない。シロウトや無名のモデルに着せて洋服を見てもらう席(ファッションショーなど)ならそれでいいんだろうけど、タレントは仕事でその服を着て、その服を着ることで自分の魅力をよりよく見せたいわけだから、その人の良さを素直に引き立たせる助演俳優を服は担うべき。まずタレントありきってスタンスになってない突飛な服は大抵負けてますね。これは等身のシルエットにも言えることで、10頭身のデザインスケッチではいくらでもかっこよく描けても、身長160センチの本人を前にするとそのお洒落ぶって斜めにカットしたスカートの長さのやぼったさはどうよってところに目が行ったりします。比率とシルエットを素直に活かすだけでも6割以上勝負が見えてる感じ。


あの番組を見ると、洋服を着る人の考える常識の枠と、その1層外側にあるここまではギリギリオッケーっていうズレの枠の間に表現を上手に落とし込んで初めて、新しく画期的な服のデザインっていうのが成立するんだなぁっていうのを強く感じるのです。ブロードバンドが引かれて世界はどう変わるかって話しを始めてもなかなか普通の人は付いてこないけど、i-modeが2000万台突破って言われると、メールの先には写真も送りたいかもねってぐらいならみんなに分かってもらえる。そういうのに似てますかね。例えばウォークマンなんてモノも78年だかのタイミングがその枠の間に位置していたわけで、それがあと3年早くても遅くてもあんなに市民権を得なかったんだろうなと都合良く思ったりすんのだった。結果論だけどな。