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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 


本を買うと、買ったことに安心してしまって1ページだって開きもしないっていうのはお決まりなんですが、そんな本達が「今! 今!」ってしつこく呼びかけてくることがあって、その時に仕方なく適当なページをめくると、大抵その時必要な(意味のある)言葉が書いてあってびっくりです。


今日は2週間前に買った川崎和男という有名なデザイナーのやたらに漢字の多いエッセイを、会社の床に転がしておいたままだったんだけど、しつこく僕を呼ぶので開いてみたらこんなことが書いてあったよ。


「気持ち」「命」「カタチ」はどれも「ち」がないと伝わらない。


ホントに数行しか目を通してないので、うろ覚えの上に適当に解釈してますけど、だいたいそんな感じ。


うーん、捉えようによっては格言好きのオッさんって気もするけどね、「カタチ」が人生上大事な3つに数えられちゃうと、やっぱデザイナーの端くれである僕なんか、ビビッと来ちゃうですよ。「ち」はやっぱり「血」と解釈すべきなんだろう。体温の元ってことで、あたたかみや優しさの象徴ですね。「血の通った気持ち」「血の通った命」「血の通ったカタチ」‥。


考えてみれば「血の通ってない命」なんてものは人工生命でもない限り存在しないわけで、そこを重複させて言うってところにミソがある。そこで逆さに読み直してみる。「血の通ってない気持ち」「血の通ってない命」「血の通ってないカタチ」。ますますオッさんっぽくなってきましたが、まーそう言うことが世の中に溢れてるっちゅう話しですな。


最初のふたつ「気持ち」と「命」に関しては、それぞれの人生の中でよりよい答えを見つける努力をして頂くってことでここは片づけて。やっぱ3つめの「カタチ」。アウトプットってことですよ。


でさー、残念ながら目に付きすぎるのだった「温かくないアウトプット」が。


空想の世界だからって人殺しや殴り合いばっかりのゲームにうんざり。映像表現に固執しているだけで商品の購買意欲と切り離されているCMや広告もげんなり、誰かの不幸を積み上げてる番組も雑誌も、網膜に飛び込んでくるだけでぐったり。見なきゃいいんだろうけど、テレビを消すチカラもなくなる。


コンビニに行くとレジで椎名林檎が買えちゃう。音楽家として彼女がどんなにすごくたって、手首に刃物を当てているようなビジュアルやガラスを叩き割るようなのは苦手だよ。


そんな体温低めな世の中に、ふと「血」の持つあたたかさややさしさを思い出せるような、そんな「カタチ」を生み続けていたいものだな、ヒトとして。確かに生きる強さの中には「痛み」「苦しみ」「叫び」も必要かもしれない。そう言うことを表現のテーマに据えたアーティストはデザイナーに限らずあらゆる方面でいるもんだけど、破壊のエネルギーや、否定のエネルギーは出来る限りその中に含みたくないもんだ、と思った。そういうのは二次性徴でローティーンの頃にどどどーって通りすぎちゃうもんじゃないのか? そんなことない??


全然関係ないけど、今日椎名林檎の上京前の頃の垢抜けない写真とかを見せられて、それもどういう気持ちで人に見せてんだろうなぁ、とまた憂鬱な気分になったね。誰だってデビュー前の恥ずかしい時代のひとつやふたつあるっつうの。