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「ポケットモンスター金銀」

ポケットモンスター  金

ポケットモンスター 金

生まれた時期によって「当たり前のこと」って変わるじゃないですか。戦時中に生れた人は「男女7歳にもなって同じ席に座っちゃいけない」とか「結婚するまで操は守るべき」とか、あるいは食べてるもの一つ取っても、僕らの両親ぐらいからインスタント製品やファーストフードがかなりの割合として入ってきたり、家族構成も戦後の核家族化を過ぎて現在、更に崩壊しつつあるし、ウォークマンファミコンの登場や、ピアッシング、髪の染色っていうわかりやすい部分も含めて、見た目は同じ「人間」なんだろうけど、それを成立させている構成要素ってここ30年ぐらいでものすごい変わっている気がすんのね。


で、思うのは携帯電話とインターネットのような距離感と時間を超越しているようなツールが生まれた時から当たり前のように存在する平成生まれの人たちって言うのは、なんかもう一つ大きな進化というか、今までと違うレベルに生き物の「当たり前」が変わって行くと思うのね。でも今日はそれがどう変わって行くかじゃなくて「当たり前」って感覚についての話です。その片鱗をポケットモンスターの新作から感じてみようって主旨です、今回は。


99年冬現在「ポケットモンスター」ってゲームの名前を知らない人は少ないと思うけれども、この新作「ポケットモンスター金銀」が11月末に発売されました。CMが毎日どの局でも流されているので、いやでも目に入ってくるんじゃないでしょうか。前作の大ヒットもあって、予約の数だけでも300万本を超えたっていうこのマンモスソフトは、僕が発売日に購入してプレイ時間がゆうに50時間を超えた今(←かなり夢中)も、全体像がちっとも分からないというものすごい奥行きをもった作りになっている。


まずは前作のおさらいから。ジャンルとしては「ドラゴンクエスト」のような「物語の主人公になりきり、旅をして、各地の謎を解き明かしていく」というロールプレイングゲームという枠に収まるのだろう。でも単体のゲームパッケージとして「ポケモン」を見た時に、その魅力はぜんぜんたいしたことがない。一言で言うとかなり味気ない。マップは一本道で行き先が限られているし、ポケモン勝負を待っている「トレーナー」と呼ばれる敵達は、そういうアルバイトでもしているかのように、そのマップ上を順番に並んで主人公を待ち構えている。彼らを倒さないと先の道に進めない。もう、なんつうか作業の連続。「敵と戦う」→「経験値をためてキャラクターを成長」→「更に強い敵と戦う」っていう無限ループ。下手するとクソゲー呼ばわりさえしかねない、ゲームの為のゲームっていう嫌な部分が見えちゃう。


でも、それは全体のうちのほんの些細なことだとすぐに気づく。なぜならこのゲームの本質(主)は通信ケーブルを利用したポケモンの交換にこそある。物語はその機能を生かすための為の「従」であるという言い方だってできちゃう。一人遊びである「対モニター」のゲームが自己完結しないで、他者により補完しあうことで商品としての完全形に近づくという新しいスタンダードをこのゲームは作り出してしまったんだな。ゲームという入れ物を通して。


メインの物語を終わらせても、もう一つのテーマである「ポケモン図鑑を完成させる」(150種類の捕獲)の方は3分の1にも満たないでしょう。なぜなら、単体のソフトでは150種類を出現させることは不可能で、友達や兄弟との「ポケモン交換」により、初めてそれが完結するようにはじめから作ってあるからです。赤や緑などのパッケージの違いはその差にあるわけで、赤にしか出現しないポケモン、緑にしか出現しないポケモンって言うのがいて、お互いがお互いを補完しあっているのね。150種類の中には、もう本当に姿を現さないレアなポケモン、カセットの中に一匹しかいないので逃すと2度と会えないポケモン、条件が揃わないと成長しないポケモンなど多種多様なわけ、それらの情報交換や信じられないような噂(もちろん肉声でする方)も含めて、初めてこのゲームはワンパッケージとして認識されるべきものになったわけですよ。もうプログラムがゲームを作ってんじゃなくて、子供たちのコミュニケーション自体がゲーム、つまり遊びになっているって構図。昔ながらのおもちゃの在り方に酷似している。ポケモンはそのための「ハード」って言い方だってできるかもしれない。ちょうど携帯電話と通話のような関係で。


子供の頃に何に夢中になったかを思い出しながら作った、っていうのが製作者代表、田尻聡(ゲームフリーク)のコメント。つまりは昆虫採集、メンコやバッジなどのコレクション自慢、ベーゴマ、紙相撲みたいな対戦ゲームなんかの面白さをこのゲームは凝縮して詰め込んでいる。何かを集めること自体が楽しかったり、それぞれのキャラクターのバックボーンを友達同士で想像して膨らませたりっていう、ある種の「寄り道」を最初から取り込む形で作られているわけだな。


で、新作。前作から4年も経っていて、なおかつその間、前作が毎週売り上げベスト20位に入ったままって言うのもすごいけど(ついに国内600万本ですよ、世界一売れたゲームになりました)最初のアナウンスより2年近い遅れもものともしないすばらしい出来に仕上がっています。


まずポケモンの数が増えた。どのくらい増えたかは正式なアナウンスがないのでわかりませんが、おそらく250種前後なのではないかと。その上それらが前作とのポケモン交換が可能。3年後という時代設定の今回、前回の冒険を共にした仲間たち(ポケモン)をまた呼びだしたっていいわけです。そういうのってパソコン以外じゃなかなか実現しなかったよね。携帯電話のメモリーぐらいかなぁ、いまのところ。


あと時間の経過がリアルタイムになった。最初に日時を入力すると、現実の時間とゲームの中の時間が完全にシンクロ、朝やれば朝の画面だし、夜やれば夜になる。もちろんそれぞれの時間にしか姿を現さないポケモンがいるわけです。社会人にはかなりのペナルティだな。床屋さんは月曜日休みだし、決まった曜日に公園では何かのイベントがあったり、週末になると不穏な噂が流れたり、水曜日にしか表れない人がいたりとか、ゲームを持って歩いていない時でも「あ、明日金曜じゃん! 洞窟行ってみないと!」なーんて、完全に画面の向こうとこっちで二重生活を送る毎日ですよ。すごい体験だそれは。あの小学生達が現実世界を自転車で疾走したり、塾帰りか何かのバスの中で情報交換しているあのCM知ってる? 僕はあのゲームを表すのに適確すぎるあの演出に「わかるー! その感じー!」って叫びたくなった。


あと、主人公が持っている便利ツールに「ポケギア」って言うのがある。これは地図や電話やラジオ、道具を入れるたくさんのポケットなど、冒険に必要なものがきちんと納まる携帯ツールなんだけど、草むらなんかをポケモンを探してとぼとぼと往復していると、ぷるるるるーって電話が鳴るんですわ(画面の中でよ)。で、こないだ戦ったトレーナーが何ともつたない会話をしてくる。「聞いてくれるー? こないだコラッタを見つけたんだけど、逃がしちゃったのー、あたし向いてないのかなー、じゃーねー」、その感覚がなんとも2000年。見えてる画面の中だけで物語りが終わってるゲームじゃなく、構図から見えてないところでも今まで会ってきたキャラクター達がちゃんと生活している感じ、もっと広く考えれば、誰もが自分の事情を抱えて毎日をちゃんと生きているっていう現実が、背筋に寒気が走るくらいに僕には伝わってきちゃうのです。


そういう体験を前作との通信機能との調整(古いゲームボーイ全機種に対応させるチェックというハードな作業)だけで1年近く掛けて磨き上げ、3800円なんて言う「子供のおもちゃ」ってパッケージに詰め込む任天堂は、やっぱすげえなぁって思った。こないだリコメンドしたプレイステーションの「どこでもいっしょ」も相当にすばらしいものはあったけどさ、ポケットステーションと合わせたら6800円って値段は、やっぱりどうしても大人向けの嗜好品って気がすんのね。奥行きも浅かったし。ポケモンは嗜好品じゃなくて、子供の遊びの為の「ハード」って考えると、そんな値段は「ありえない」し、今回もまたこのゲームを買ってもらえるとは限らない子供が多いとすると「前作と通信しないわけにはいかない」わけですよ。そういうことにちゃんと時間と脳みそが割けて、これだけゴージャスな作りになっていて、本編が終わった後の方がぞっとするくらい楽しみの広がるこんな「おもちゃ」をぜひ2000年になる前に一度はみんな体験しておくべきだと思った。来年4月には携帯電話を介した新作ポケモンも用意されてるって発表もありました。これからの子供達の「標準規格(当たり前のこと)」を知っておくためだけでも、3800円はお釣が来ると思うよ。加藤あいに言われなくてもびびるってマジで。これをやって育った子供たちがオトナになって生み出すものを早く知りたいよ。ガンダムやヤマトを見た世代がエヴァンゲリオンを作ったり、YMOにはまった人たちが電気グルーヴやテイトーワになったりするみたいな「かっこいい共鳴」が必ず来るんだろう。生きていられるといいなぁ。2020年?