食事と涙は一緒には嫌だ。おいしいものがまずくなるからじゃなくて、自分のココロが何も揺れてないことに気づいてしまうから。
外は夜遊びにはもってこいの潮風と星空。のんびりできる休日もあと数時間でおしまいなのに、涙は嫌だ。見たくない。
僕は誰ひとりとしてシアワセになんか出来ないんじゃないじゃないかと、ここのところよく思う。今この瞬間を共にしたいから会っているだけなのに、「約束」や「順位付け」なんかですり減らしたり傷つけ合うばかりなら、最初から誰とも関わるべきじゃないんじゃないか、とかそんな思いも反響する。
いつからか泣かれることについて弁解をしなくなった。大事な人が目の前で泣いているからと言って、いつもより余計にやさしくしたりもしなくなった。涙は何かの結果だから、そこに辿り着いてしまうまでの痛い偶然の重なりを(あるいは必然だったのかも知れないけど)、一通り聞いて、絡み合ったところを解きほぐして、端から並べたものを同じ側の座席に座って眺めてみることにした。
そうすると大抵の涙は痛みを失う。今まで足りなかったこと、これからしなくちゃいけないことが、お互いクリアに見えてくる。「ごめんね」なんてあやふやなコトバで、理解出来もしない借りを作らなくて済む。ほんとに大事なことだけが見えてすっきりする。
「反省」ではなく、「〜でなければならない」でもなく、「こうあって欲しい」って風に歩いて行きたいし、そうするつもり。だけど僕は誰かをシアワセにできるんだろうか。僕は僕をシアワセにできるんだろうか。