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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

映画「恋に落ちたシェイクスピア」

坂本龍一がテレビで好きな女性のタイプは?」と聞かれて、「あらゆる意味で自分をインスパイアしてくれる女性」と答えていた。言い回しは固かったけど、かなり共感したのを覚えている。創造の神様が必ず女性(ミューズ)なのもあって、やっぱり好きな人ってたくさんのチカラを与えてくれるからね。


この物語は劇作家であるところのシェイクスピアがちょっとスランプ気味だったころの話し。なれ合いでありふれたストーリーに自分でもうんざりしている時に運命的な(身分違いで報われぬ)恋に落ちる。そのめくるめく体験を絡めながら名作「ロミオとジュリエット」を書き上げ、コイビトとともにその舞台を演じ、新しい創作の地平に至るまでを描いている。


モノを作ることは「想いを形に変えて伝える」ってことなので、実は「ラヴ」そのものだったりする。恋愛と創作の相性がいいのは根元が同じせいでもある。


昨日まで海賊や犬が出てくるどたばた喜劇だったはずの三文シナリオが、恋をした途端に語るも涙のラヴストーリーに変わる。でも、クライアントが文句を言えなくなるほどのそのテンションの高さは、やがてすべての人を情熱で巻き込み、数々の信じられないような事故や奇跡を呼び、歴史を書き換えるほどの画期的な劇空間を生む。その相乗効果で恋はさらに盛り上がる。そういう構図。


でも現実はそんなに甘くなくて、身分の差を埋められない二人は最後、破局に追い込まれる。まるで「ロミオとジュリエット」の悲劇にシンクロして共鳴するかのように。だけど物語として重要なのはこのあとの部分。シェイクスピアは絶望もあらわに筆を折ろうとするんだけど、それをコイビトが止めるわけ。「距離が離れてしまっても二人の恋は永遠です。あなたにもその想いがあるならお願い、作品の中で「私」を描き続けて」。セリフ自体は忘れてしまったけど主にこんな事を言っていたはず。僕は泣いたね。恋ってシチュエーションや運命に翻弄される自分に酔うことではなく、それを通じて新しい何かを産み続けることなのね。そこには別れを中心とした痛みや絶望も不可避だろう。でも気持ちがあるなら産み続けることが愛。そういうことがバーッと体中にこみ上げてきてくらくらした。物語のすばらしさと生きることのすばらしさに触れたそんな貴重な時間でした。


これってなんか僕がラヴフールを通して言いたいことの全部になっちゃったなぁ。つーかホントにすげえんだよ、この映画。まず配役がカンペキ。とにかく見れ。