春を告げる風が吹く日にヨーロッパから届いた一枚の手紙。きっちり3ヶ月ぶりの声。
「ロンドンの地下鉄に乗っていたら急にあなたのことを思い出したのだよ。電車に乗りながらぎゅーってしてくれたこと」
たどたどしい文字がボールペンで踊っている。僕らは時々お互いをそんな風に思い出す。季節の変わり目、寂しい夜、自分勝手に好きなときに。要するに浮ついているわけだ。どこにも辿り着かない、でも大事な人。
「そういうのをセックスフレンドって言うんだよ」
ある娘は諭したかったのか、そんな風に僕のことを言った。君がそう思うならそれでもいいけど、それは違うよ、と僕は言った。僕はそう言われていささか悲しい気持ちにもなった。セックスがなくても僕らには二人だけのたくさんのコトバを持っていた。でもそんなことをわざわざその娘に説明する気にはなれなかった。
平日の昼間に並んで街を歩く。指先をそっと絡めて、宛てもなく。
いつかこんな気持ちになるんだろうと10代の頃からずっと思っていた。満たされない何かを確かめてくれる人。それは抜けきれないこどもっぽさの甘えそのものかも知れないし、罪悪感になびかせた趣味の悪い耽美なのかも知れない。でもこぼれるんだ。ひと巻きだけ僕のねじを締め直したり緩めたりしてくれる。空を飛んでもう一度同じ地面に返してくれる。そんな特別の時間にもう一度会いたくなる。新しい季節が来る度にそれは訪れる。