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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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iMac礼賛


今更と言っちゃ、今更ですがiMacですよ。モノやお金に執着のないピカチュウが何故か目をらんらんと輝かせて衝動買いしてしまったという、みどりろで透き通ったあのおにぎり。っつーか、なんかもう世界中でそういう状態らしいじゃないですか。パソコンなんか昨日まで見向きもしなかった人が、うれしそうにメモリ増設までして(意味わかってんのか?)あのおにぎりの納品を待ってるのね。たったひとつの製品でアップルが持ち直したりしたらうれしいなぁとか思います。


1998年秋の現在、パソコンって言うのは生活や仕事上必要な人にはもう行き渡った時代なんじゃないかと僕は考えています。それってもう、ある大きな転機を待たないと市場的には飽和ってことなんですが「今までなくても生きてこれたし」「何に使うのかよく用途がわからないし」「すぐ壊れるって聞くし」「とにかくいろいろめんどくさそうな」機械をさらに売るためには、今まで興味がなかった人を引き込むのが一番いいよね。でもそういう人達に「クロック数が格段にアップ」とか「メモリの拡張スロットが8本もある」とかって言っても、全然ピンとこない上に難しそうでめんどくさそうな印象の上塗りなので、そこでアップルの創立者であるとこのスティーヴ・ジョブスは考えた訳よ。「今までのと全然違う見た目にしよう!」。


iMacのデザインのことを言ってる話しなんかを見ると、なんかかわいい雑貨やインテリアを扱う文脈で語られたモノが多いけど、その前にこの商品の持つ「今までのパソコンと全く異なるものとわかる印」って言う使命から語られているモノは全然ないね。「何でスケルトン?」とか「なんで丸いの?」とか、そういう視点からすれば、すっきりとわかるじゃんな。今のがそうじゃないからだよ。そんだけ。パソコンに興味のなかった人達からすれば、そういう「あ、なんか違う!」ってムードがまず必要だったんだよね。で、ピカチュウでさえその魔法にはめろめろ来ちゃったわけだ。


そんでもって実際に触れてみたよ。確かにかわいい。ピカチュウは葉山の別荘で普段は優雅に暮らしているんだけど、そこの古ぼけた薄暗い建物の中、それもちゃぶ台の上にちょこんと座った「あいつ」を見るのは、なんか生まれたばかりの子猫とかを見るみたいで、知らぬ間に顔がほころぶね。お尻までちゃんとデザインされてるから、部屋の真ん中に置くと空間を取り込んでものすごく収まりがいい。生活のおへそって言った具合に部屋の中心がとてもよく似合う。


ただ造形的に美しいかというとそれは全然別の話だね。美しくはない、でも他のどれとも違ってて魅力的。500メートル離れたって、他のパソコンとは充分に区別つきます。道具としてはあのまん丸マウスは、とっさにつかんだ時、どこが前かわからないので、ポインタが思いも寄らぬ方向に動いたりします。そこはちょっと減点。


でも商品として、本体、モニター、モデム、スピーカー、CDロムプレーヤー全てをワンパッケージにして、コンセントがひとつとかはむちゃくちゃ美しい。そのコンセントもちゃんとスケルトンだったりするしね。電話線もちゃんと揃えて欲しかったけど、プチっと挿してから2分後には、電話線が外の世界に繋がってたね。これまた美しい。フロッピーもなくてちっとも困らないし。


ただ性能はオーバースペック過ぎかなぁ。半分のクロック数で、ハードディスクも2G以下でいいから、10万か12万ぐらいにして欲しい。この設定は中学生がナツヤスミ死ぬ気でバイトして、何とかなりそうな額って意味ね。それができたら、もう百点は間近って感じだな。


デザインというのはいつの時代もそのものの使命をきらりと輝かすための魔法であり、それが普通の生活を送っている人達の感覚にポーンと届くような表現にまで昇華できるのは、ホント理想だ。iMacはこんな不景気の時代に、性能じゃない部分で魔法がちゃんときらめいたとてもいいデザインだと思う。