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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

誰かを想う気持ち。


誰かを想う気持ちっていうのはその本人にしかわからなくて、そのうえ、外に出して比べようがないようという点で、「痛み」や「喜び」や「味覚」に近いです。「私は彼(彼女)のことを誰よりも深く知っている」とか、とてもじゃないけど言えないよね。例え、その彼があなたに直接そう言ったんだとしても、それは魔法としてうれしく思うだけで、そっと胸の奥でじーんとくるくらいでとめておきたいものです。


でもそれが今はもう届かぬ時間に対しての想いや、届かぬ物理的な距離や、届かぬ社会的な距離の場合になると途端に数量化や相対評価が気になってくるのはどうしてだろう。きっと自分の気持ちを反射してくれるものがなくなって、その気持ちがホントにそこに存在するのか、自分で不安になっちゃうんだろう。


自分でつくってしまった不安を消すのはとても難しい。そもそもの「気持ち」自体が想像力の産物なので、それを一度でも疑うといくらでも揺らぐし、節操なく形を変えたり、場合によっては変質してしまったりもする。スイカってキュウリの味だよなとかって思ったら、その瞬間からそれはあなたにとって丸いキュウリなわけだ。どんなに縞模様があってもね、誰にも止められません。


ところが逆に自分の気持ちを100%信じ切れるとき。考えてみればこれも本質は変わんないんだよね。「これは恋だ!」とか「私たちは世界で一番相性がいい」とか「誰よりも愛されてる」とかね。スイカの丸って地球の形に似てるーとかっていうのと大差ないです。どちらかっていうと「キュウリ」って思うときより、理由付けがいらないんで、発想が突飛で大胆だよね。「空も飛べるはず」とかね。


で、何が言いたいかっていうと、例えとして今回、恋の話しをしちゃいましたけど、日常自分を取りまくたくさんの事実をどう受け取るかで、目の前に立ち現れる毎日はずいぶん変わってくるよなっていう割と当たり前のこと。行動力は必ず意志の上に成り立っていて、その強さは自分の思い込みの強さに比例するってこと。その気持ちを自分が全部信じてやらなきゃ、すぐにでももろく変質してしまうってこと。


「継続は力なり」とかね、言ったりしますけど、僕が言い換えれば「思い込みは行動の原動力なり」ってとこでしょうか。「未来は妄想が作り出す」まで言うと言い過ぎなのかな。