ピカチュウに言われたんだけど、BBSのみなさんの書き込みを見ていると、僕がすごくすごく愛されてる感じがすんだって。多分ちょっとしたジェラシーを抱いたんだろう。でもあんまり自覚がない。僕はそれを聞いてコイビトにいつもそういうことを言われるなぁと思った。
僕は生まれつき体が弱いので、ものすごおく過保護に育ったんだわね。「あまりに愛に溺れて愛に気づかないくらい、あなたは愛されたのよ」と母親に泣かれながら言われたこともあったなぁ。
最悪なのはそれにいつまでたっても気づけない僕がここにいるってことなんだけど、愛されてるか、あるいは愛されてないかってどこに判断基準があんのかね。「僕たち付き合ってます」みたいに共通の一方向幻想を抱くのとはまた別のもんなのかな。
よく人のホームページなんかをのぞくと「私は親に愛されたことがない」みたいな文章にかなり頻繁に出会う。そう言い切れる人は「愛してくれる親」像をちゃんと知っているっていう裏返しになるはずなんだけど、そういう詮索は意地悪すぎるか。
確かに会ったこともない人に頻繁に伝えたい気持ち(書き込み)があるっていうのはそれだけですごいことだよね。自分もお気に入りのリンクを日々たどりながらそう思うことがある。お客さんが毎日ひとりでも来てくれるからこそ、僕のつぶやきも成立するわけだし。
そう思うと愛されるって言葉は、必ずしも双方向じゃない気がするね。まぁ、愛にもいろいろ種類があるんだろうけど。もっと浮ついて、ここに来てくれる人たちがいつも縁側の猫を撫でるような気持ちになってもらえるようにしたい。そうした中で漏れるいくつかのコトバは、僕の想像する愛にかなり近いんだけど、そのへんどうでしょう。