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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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「AVファミコン」任天堂


4560円だった。すごい。


現在の日本のテレビゲーム産業がここから始まったことを思うと、その功績はホント掛け替えがない。だって子供の頃にファミコンがなかったら、僕が今の会社(ゲーム会社)に入るはずもなかったわけだし。


面接で確か僕はヴァーチャル・リアリティの話しをした。これからどんなに技術が進歩しようとも、ファミコンの頃感じていたリアリティはもう簡単には超えられないだろうと言う話し。今でこそハリウッド映画のように大作志向のマーケティング的なゲームや、コンピューターの描画能力、処理能力そのものの宣伝のようなソフトばかりになってしまったけど、ファミコンがもてはやされた頃は発売されるゲームがすべて新しい遊びの「発明」だった。


子供の玩具として精一杯コストダウンをしたために極限まで削られた色数と音源。そこで表現される世界は1600万色を超える現在のテレビゲームよりはるかにメーカーの「デザイン力」を強いた。そこからしか生まれることがなかった任天堂の「マリオ」というキャラクターの愛嬌は言うまでもない。あのキャラクターが当時の表現力を最大限に生かす為に、色数とドット数から逆算的に生まれたデザインという話しは有名だ。


僕は今でもゲームとは「アソビの仕組みそのものの発明」だと思っているし、そこ表される世界は「コトバの説明のいらない高度な記号」を模しているべきだと考えている。それらが一致して初めて「仮想世界」の「現実感」が生まれるわけだ。


ファミコン時代のソフトを十数年ぶりに取り出してみて感じるのは、そんな当たり前のことが出来てないソフトが現在あまりにも多いと言うこと。当時のハードの制約からは一方的に「発明」であり「記号」であるゲームしかつくれなかったことが、むしろ僕らにとっての幸運だったことが今、痛いほどよくわかる。


押し入れからよみがえったカセットは、まだとうぶん僕を眠らせてはくれそうにない。