lovefool

たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

1周年


すっかり忘れてました。僕が生まれて初めてホームページ作ってから、おとといでちょうど1周年でした。カウント数を365日で割ったら、日にだいたい36人前後でしたね。そのうち何人かは僕本人だと思うけど、実にたくさんの人に来ていただいたんだなぁと感激した次第であります。どうもありがとう。


まぁ、ほめられたり、笑われたり、けなされたり、喜ばれたり、怒られたり、泣かれたり、泣かされたり、と充実した一年でしたね。とにかく家と会社の往復だけじゃ出会えなかった大事な人達に会えたことが一番うれしかった。その人達のくれたコトバや気持ちがなかったら、もうどうにかなってた日もあったくらい。ほんと感謝してます。


僕自身、インターネットは「出会い偶発装置」だと思いこんでいる節があるんで、これからも適度に出しゃばりながらいろんな人に会っていきたいですね。「気球」だって、そうやって乗れたわけだし。 時々は誰かに注意されることもあるかもしんないけど、前向きに真摯に生きていきたいと思います。これからもどうぞよろしく。

CD「ゴシックリング」トライセラトップス

GOTHIC RING

GOTHIC RING

「リアリティ」と口に出して言う時、固定観念や誰かの創造物から抽出した独自の理想形を指している場合が多い。例えば、映画に「雪男」が出てきてそれがピンク色の着ぐるみだったりすると、全く「リアリティ」が無いなんて怒ったりする。本物の「雪男」に会ったこともないくせに。


恋愛に関しても、実際そういう経験はしてないはずなのに「そうあるべき」「きっとみんなそうだろう」「これはやっておかなきゃ」的な、悪いリアリティが世の中には当たり前のように溢れていて、その中の共通の無意識をうまく吸い上げたり、程良く裏切ったりして人気のドラマなんかは作られています。


中でも指輪にはそういうリアル幻想がつきまとうには充分すぎるくらいの重さがあります。付き合って間もないコイビトや、忘れられないあの娘の大事な日に何か小さな贈り物をしたいと思って、頭の中に「指輪」が選択肢のひとつとしてあがるのは、男の子としてそんなに珍しいことじゃないです。僕の場合は憶病なんで毎回候補から外してますけど、屋台のオモチャの指輪とかをあげたりもらったりして、にへらにへら一日を過ごすのも時には楽しいものです。


トライセラトップスの新しいシングルは、そんな10代の指輪に対するまだ未成熟な「リアリティ」を唄っていて、僕はなんだか昔の自分を思い出したりしたのでした。以前「重さの象徴・グレイプバイン」とともに紹介したときには「彼らの底抜けな軽さと明るさはきっとローティーンの女の子にたくさんの誤解を招いているだろう」という話しをしましたが、今回はその誤解を程良く壊す、トライセラ初の重めのアレンジです。打ち込みのリズムから始まり低くギターが被さるイントロとか結構ドキドキもの。コイビトに初めて買ってあげる指輪を前に「この指輪があるからって、君は僕のモノになんかなったりしないけど、僕がいないときも、この指輪を見て僕を思い出してよね」みたいな、青臭くも素敵な世界が広がっています。これが単にいつものさわやかな音の上に乗っていたら、ただの歌謡曲だけど、指輪プレゼント以降に待っているであろう未来の数々の荒波も、かすかに予感しつつ今を迷う男の子の気持ちが、青く澄んでいて広いんだけどどこか夏より痛々しい秋の空のように、簡単には飛び立たせてくれない地面の重力を引きずっているのです。その引きずられる想いそのものが、僕には「リアリティ」と感じられるねという話しを今回はしたかったんだ。


「儚くも美しい幻想(理想形)を信じようとする自分」と「幻想はどこまで行ってもやっぱり幻想だろうと思う現実世界の自分」。あるいは「素敵で鮮やかな未来のリアリティと同じくらいに、重くのしかかってくる様々な日常的ファクター」。この曲のタイトルの「ゴシック」っていうのはそういう「夢想から現実世界のへ引き戻そうと作用するオトナ世界の重力」を表すひとつの象徴なんじゃないかと思うわけです。


信じられるのは常に胸にあるこの気持ちだけで、それは取り出したり、数字で計ったり、誰かと比べたりは出来ないんだけど、そこを乗り越えられずに「指輪」の象徴性の前で揺らいでしまう自分がこの歌の中にはいるね。コイビトに指輪をあげることで、二人の何かがが昨日と変わったりはしないけど、対象(指輪)やはっきりした契約(約束)がなくとも、そこに込める気持ちを自分でしっかり定着させることが出来るまでのひとつのプロセスだったのかなと、25才の僕は今、思います。でもときどきは「好き」って言ってもらいたいって気持ちも素直にあったりすんだけどね。