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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

伝えない


祖父のことを考えていて、つらいと口にしたりとか、悲しい顔を見たことがなかったことを思い出した。普段自分の気持ちを話さないから、祖母がなくなって出棺のときに、祖母の腕に巻いてあげたビーズの腕輪を自分が作ったと言うことを主張したのと、最後に「綺麗な顔だね」とだけつぶやいたのが、すごい印象に残った。それくらいよほどのことがない限り自分の気持ちを伝えない。伝えない、と言うのはすごい。他人に期待しないということだからだ。お腹がすいたら時間や量を関係なく食べるし、眠かったら寝ちゃう。それ自体はいいとして「感想や感情を共有しよう」「共有したからさっきよりちょっと安心」という弱さがない。一人で歩こうとして途中でしんどくなったら、しんどさが去るまで黙ってその場でじっとしてる。興味があるものがあったら、ただそれをじっと眺めている。その対象に近づくわけでもないし、おいでと呼ぶわけでもない。近づくのも、遠ざかるのもすべて相手の気持ちと行動に委ねている。自分は黙ってただそこにいる。


孤独というのは悲しいことなんだという響きがある。伝え続けることはお互いにとって大事なことなんだという考え方がある。だから毎日「ここにいるよ」という小さい叫びを僕なんかは積み重ねる。「ね? そうでしょ?」って顔を見て言いたがる。物を作る仕事だって、不特定多数と分かり合いたくて、その延長の中で選んだ気もするし。でもどんなにあがいても、むしろあがけばあがくほど孤独を受け入れざるを得ない瞬間は幾度となく訪れる。だとしたら誰かに何かを期待しないで、そこにあるがまま、求められるがままを受け入れるっていうのは、つらいけど、有用で現実的で立派な在り方のひとつだと思う。他者によって成り立つ自分があるのは誰でも同じだとしても、そこを拠り所にするかどうかの選択は大きな違いだ。そう考えるとうっすらと悲しくつらい日々は、そこに達するための訓練(モラトリアム)みたいな気もしてくるんだった。僕にはまだ遠すぎる境地だ。未熟さを知る。