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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲」

ビデオで見ました。いろんな方面のいろんな人から「まじやばい! 見とけ!」と言われていたのに数年越しでやっと応えた感じ。びっくりした。確かにやばかった。何がやばいってターゲットとメッセージがやばい。子供を映画に連れて行ってあげたつもりの大人達だけにしか届かない設定とメッセージなんだよ。大人たちが子供の頃憧れたヒーローやヒロインの役を実現(体験)させてくれるサービス会社がものすごい繁盛して、国民のほとんどがみんな「良き20世紀の思い出」の中に閉じこもろうとするのを、しんちゃんをはじめとする子供たちが未来に進んでいく気持ちを取り戻そうとするって話かな。あらすじ的には。


でもいわゆる「未来」が輝かしいものじゃないことは、僕らにも分かってるじゃない? 高度成長期から見上げた未来のすばらしさには現実が全然追いつかないことも知ってるじゃない? 物質的に満たされることが心理的には儚いことも知ってるじゃない? 「20世紀博」というそのサービス会社の中には、昭和40年代ぐらいの町並みが「ナンジャタウン」や「ラーメン博物館」みたいに丸まる再現されていて、大阪万博スバル360トヨタ2000GTや、アナログレコード、白黒テレビ、夕暮れの木造アパートが、「物質の豊かさと引き換えに失ってしまった心の安らぎ」の象徴のようにちりばめられている。子供はともかく、オトナにはすごく居心地のいい場所だ。終わらない夢の象徴でもある。ずっとあのままだったら、という「もしも」を叶えてくれる。


そのオトナにカツを入れに行くしんちゃんたちの論理は明確だ。働かない大人たちのために現実世界が機能を停止して「困ってる」のだ。発電所から電気は流れないし、取り残された子供たちはコンビニに残った食糧を取り合って生きている。子供はオトナに支えられて生きているんだから「自覚して(助けて)」と言っているだけだ。だからオトナたちは、それをきっかけにこそせよ、気持ちのいい「安らぎ」から抜け出すために、自分たちで理由をつけないといけない。「子供を育てないといけないから」という義務感だけじゃない意志を言葉で表わそうとする。でもその言葉(理由)が見つからない。


それらを踏まえたオトナが自分たちの意志で「俺たちは進まなきゃいけないんだ!」っていうシーンにちょっと本気で涙出たね。意味が空っぽなのだ。進みたいから進むんじゃなくて、進むこと自体が目的になってしまっているのだ。レジスタンスに負けた「20世紀博」の幹部たちは塔から投身自殺を試みる。でもたまたまそばに巣づくっていたハト(家族と平和の象徴)にさえぎられて、死ぬタイミングを逃してしまう。一見、子供が見ることを前提にした危険回避のハッピーエンドだけど、僕の目には「進むことをやめて、死ぬことも許されなくなった」ようにしか見えなかった。「今ある時代を生き抜くこと」、その意志。立ち止まることさえ許されない時代のスピードをクレヨンしんちゃんに突きつけられるとは思わなかったよ。