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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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アウターワールド


やーもうなんというか、葉桜。新しい会社に通ってからあっという間に3ヶ月ですわ。試用期間が無事終わりまして、再度半年の契約を結びなおしました。引き続き、ゲームを作ります。


仕事の方はいろんな山あり谷ありだったけど、振り返ってみると、そんな荒波の中でもかなり正確に直線距離で目的地に向かっていたことが後から分かってこれはホントにディレクターの手腕ってものを痛感させられましたね。信じた方がいい人っていうのはちゃんといるってことが分かっただけでもうれしかった。そして自分が信じて疑わなかったことに関してもそれなりの返答があって、ちょっとした自信に繋がった。


先週、「バイオハザード」と「ラクガキ王国」を買った。どっちもよくできたオススメ度の高いゲームだ。フツーにすごい。値段分のヨロコビや驚きがちゃんと詰まっていると感じる。


それはそれとして、全然違うことも感じた。同じビルで働く石井君がスーパーファミコンのソフト「アウターワールド」を持って僕の席に遊びに来た。すごいから是非やってみてくれって。ジャンルで言うとアクションアドベンチャーみたいな感じでしょうか。トゥームレイダーみたいに、謎があって、それをアクションの組み合わせで突破していく。ひとつでも手順やタイミングを間違うととにかく死ぬってやつです。ほんとにすごかった。2次元ポリゴンという技術で描かれてるそうなんだけどもう、とにかく、想像力を強くかき立てる絵だった。ポスターカラーの少ない絵の具で描いたような絵がアニメのように動く。驚くのはゲーム企画、プログラム、デザインをエリックチャイっていう人ひとりで作ってしまっているところだ。誰にも文句を言わせない制作環境だけあって、操作性は最悪。ユーザーフレンドリーとは口が裂けてもいえっこない謎解き。でも、そこにはすごい豊かな気持ちが詰まっている気がした。


僕は出身が工業デザイン科だったせいもあるのかゲームシステムやルールを視覚情報だけで認知させたり導くようなユーザビリティの側面を、多分他の人より強く受け止めている節があって自分で何か楽しい仕掛けを考えるときも、それがそこにあることに気づいてくれるための予感の準備っていうのをたくさん仕込みます。空想の世界で溢れかえった情報をあるルールで順序立てて並び替えたりするためにジャンルや世界観を限定して、例えば「木の剣」と「鉄の剣」みたいな名前を与えることにより、2つある同じ機能のものがどっちが優れているかってことを示したり。複雑な技カードを持った格闘ゲームならじゃんけんの3すくみに大別して、実際には複雑に絡み合ったカードシステムをみんなが知っている簡単な勝負で置き換えればルールを覚えやすいし、より深いゲームのおもしろさに気づいていくれる導線を描きやすいと思っています。言ってみれば、僕はプレイヤー自身に選ばせる行動を、簡単なところから段階的に深いところへ導くような仕組みを作ることを、ゲームらしさの設計だと勝手に思っている部分があるわけです。


でも「アウターワールド」を見ていたら、なんかそういうことがものすごくゲーム村の方言でしか考えていない発想かもな、と思うようになった。


ゲームのオープニングムービーが終わると、異世界に転送されてしまった主人公は突然貯水槽の中にいます。画面は水上を見上げるような構図になっていて、水面近くに何か人のようなものが揺れているのが見えます。何をどうしたらいいか分からなくて呆然としていると、画面下の海底の方から無数の昆布のようなシルエットの触手が伸びてきて、数秒後には「GAME OVER」と出てきます。何もしないまま死んだのです。石井君によれば「おぼれちゃうから水の上にまず出なきゃ」だそうです。ふーん。クソゲーじゃんそんなんと思いながらも渋々従います。地上に出るとなんだか荒野です。画面をスクロールさせると地面を大きなヒルのようなものが歩いています。「これ、触るとやっぱり死ぬわけ?」「死ぬ」。操作を教わって、つま先でエイエイっとやっつけます。地味です。でも未知の世界の生物だから油断しない方がいいです。その先に進むと今度は熊のように真っ黒で巨大な獣がこっちをにらんでいます。目だけがぎょろりとこちらをにらんでいて、今にも襲いかかってきそうです。明らかにやばいので来た道を逃げます。やっぱりすごい速度で追っかけてきます。ただ走っていたら追いつかれて死んでしまいました。GAME OVER。石井君に操作を聞くと、ジャンプと組み合わせながら走る欽ちゃん走りは通常の走り方より若干早いそうです。言われたとおり欽ちゃん走りで走ります。でも獣はどんどんスピードを上げて追いかけてきます。走っていく先が崖になっているのが見えてきました。あーもうどうにでもなれです。ジャンプ! するとどうでしょう。その先にぶら下がっていたツタにうまく捕まって獣を飛び越し来た道にまた着地することが出来ました。まだまだ逃げます。やがてさっき獣がいたところにまで戻ってくると魔女狩りみたいな全身黒い衣に覆われた目出し帽の人が立っていました。追いかけられている僕の背に飛びかかってくる獣を、光線中で撃ち殺してくれました。うわー、超ラッキー。サンキュー! と僕が握手を求めると、目出し帽は僕にも麻痺銃を撃ち込んだのでした。薄れゆく意識の中で思います。チクショーなんだよー‥ どうなっちゃうんだよー‥。


最初の5分がそんな感じ。長々とゲーム内容を説明して僕が何を言いたかったかというと、このゲームが「ユーザーにやらせたいことを導いていないけど、その主人公になりきって状況を冷静に把握して、想像力をふんだんに働かせてその謎を解いた人には、ものすごい満足感を与えている」んだなーってことです。僕の心の中の声をふんだんに盛り込まないとゲーム自体が成立しないっていうある意味、本物のロールプレイング。まぁ、画面が2次元だったりして、現実的には出来ることは限られてるんですけど、「さっき見つけた怪しいアイテムを、同じカタチしたこの穴に、ほら、はめてみたくなるでしょう?」っていうようなお膳立ては一切ないです。想像力の翼を力一杯に広げてひらめきの末にクリアできるか、たいくつなまま、何度も死に続けるだけ。多分9割以上の人が、導入部分だけでやる気を失うと思う。でも解こうという気持ちを持った人にはその難しさに見合っただけのヨロコビが必ず保証されているのね。


ドラクエ7って僕やったことないんですけど、堀井雄二さんが最近のゲームにしてはけっこう難しく作ったって話しを聞きました。理由は最初のドラクエだって、その難しさを乗り越えることが=おもしろさだったはずだから、その原点に戻したいって話しだった。そん時、僕は「やー、ドラクエみたいな大衆向けのものは、誰でも解けるような親切なつくりの方がいいんじゃないかなぁ」って思ってたんですけど、それは結果的に真剣にそのゲームに向かい合おうとしている人達(つまり真剣なお客様)から、本来得られるべきヨロコビの大きさを、他のあんまり興味がないはずの人を商売上カウントしないといけないせいで、奪ってしまっているのかもしんないって気づいたのでした。


アウターワールドをやらせてもらう3日前に僕はバイオハザードを「やさしい」コースで始めて数分後に最初のゾンビに噛まれて死んで、「なんだよ、ちっとも親切じゃないなぁ!」って言って電源を切った覚えがあったんですけど、アウターワールドをやり終えてからバイオハザードにちゃんと向かい合ったら、アクション部分はともかく、ちりばめられた謎があまりに「こう解いてください」ってお膳立てされすぎてて、あぁ、これは謎解きの部分に関しての想像力を駆使するヨロコビは明らかに削られてしまっているゲームだなと感じるようになってしまいました。バイオハザードなら大事なアイテムが落ちていればそれがどんな暗闇でもキラキラ光ってくれているし、ゾンビに噛まれても3回まではオーケーです。ピンチになることは多々あっても、そのプロセスを楽しんでくれるような、回復アイテムの配置や、謎解きの簡単さを設定してあります。ピンチのプロセスを楽しむゲームだから、可能な限りリアルな画面が必要なのです。


アウターワールドの場合「ジャンプ」「走る」「光線銃で破壊する」「光線銃でバリアを張る」「スイッチを切り替える」という基本動作の組み合わせだけで、起こせそうな何かを画面の中で想像するゲームです。でもそこで起こることは想像以上のことばかりです。もろそうな岩盤を銃で打ち抜いて、決壊したダムの水に追われて走り抜けると、さっきはただ落ちていただけに見えた板状の岩が、下の穴から吹き上げたダムの水でほんの一瞬だけエレベーターになって、上れなかった断崖を上がることが出来たり、まともに戦うと負けてしまいそうな銃を持った衛兵の頭の上にシャンデリアを落としてやっつけたいんだけど、その落下のタイミングを見計らうために、球状のガラスにかすかに映り込む衛兵の頭の位置をじっくり眼で追ったり。もう操作性の悪さなんか2の次になるくらい、その世界にがっちり向かい合っている自分がいて、それはバイオハザードのもつ画面のリアリティや謎のちりばめ方よりか、僕にとってゲームらしく感じられたんだよね。


なんだかうまく言えないんだけど、ゲームの喜びって、実際にやったら大変なことからストレスだけを取り除いて与えたり、指先ひとつで叶えてあげるって言う魔法の部分(やさしさやもてなし)だけじゃなくて、やっぱり実生活同様、状況の冷静な推察とその実践に対する報酬っていうような硬派な関係も、かなりの割合で重要な気がしたのでした。理不尽なのは嫌だけど、想像したことを実践して成功させた時の深いヨロコビを奪ってしまうような、単純化や、制作の都合としか考えられないルールづくりは避けたいな、と思った。