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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

なぜ今『ガンダム』なのか。

http://www.sharp.co.jp/corporate/news/010903.html

「もちろん出てくるメカがかっこいいというのもありますが、それだけではこれだけさまざまな形で残っていく作品にはならないですよ。『ガンダム』の大きな魅力は登場人物それぞれがしっかりとしたドラマを持っていること。これは安彦良和氏の作画が素晴らしいのですが、戦争の災禍のため避難民として軍艦に乗り込み、生き残るための戦争を通して成長していく主人公たちや、復讐に生きる敵側のキャラクターなどが、まるで映画の俳優が演技しているかのように描かれているんです。」


「ヴィジュアルそのものに対する認識を深めようという作業が希薄な分、評価の対象が物質的な部分にずれて来ている。これを僕は“ヴィジュアルの物質化”と呼んでいます。よりわかりやすく表現すれば“ヴィジュアルのスペック化”です。ビジュアルの価値を“リアルである”“きれいだ”“いくらかかった”というスペックでしか語れないし、それでもって作品を売っている。それが売れて話題になり、評判にもなる訳ですが、僕には素人がはしゃいでいるとしか思えない。物語らしい物語もつくり出せないのに。ここで僕が言う物語とはそんなすごいものではないんですよ。ごく自然に作品にある物語。その程度でさえもつくり出せないんです」


「『ガンダム』の場合、志はSF映画をつくりたいということでした。そのためには物語性、人間性が見えてこないといけない。結局それは“青春群像”のようなものになったのですが、そうした部分を商業的な要請を満たしながら、“あれをやるからこっちも”という形で、実現していった訳です」「子供向けの作品だからといって幼稚につくるのは子供をナメ過ぎでね。またそういう作品が多いんですよ。複雑な情報でもとっつきよく提示できる。それが映像の持つ機能でしょう? もしよくわからない難しい内容だと思ったとしても、映像を面白くつくってあればそこで魅力を感じてくれるんです。そうした映画なら10年たってから“あの頃はよくわからなかったけど面白かった。あれはどういうことだったんだろう”ともう一度見直して、あらためて魅力を再認識してもらえるんです。今、映画が短命なのはそこに原因があると思います。映画はお客をナメ過ぎています」


ガンダム20周年の時にずいぶん取材とか受けて。20年たってもファンでいてくれる人がいるのは光栄だなあと思ったんですけど、しかしその反面、20年たっているうちにずいぶんと誤解されている部分もあるなあ、と感じました。その中でも一番大きいのが『ガンダム』をモビルスーツが戦う戦争シミュレーションのような作品だという認識です。僕はねえ、極端に言うと『ガンダム』のそういう部分はどうでもいいと思っています。あれは人間ドラマなんです。月並みな言葉だけどね。」


「当時は、怒ったとか落ち込んだとか、泣いたとか今うれしいとか、それぐらいの感情表現しかしていないのがテレビアニメの水準だったんです。顔で笑って心で泣いてんだぜ、というようなねじまがった描写はなかった。『ガンダム』で一番画期的だったのは心が通じない、ディスコミュニケーションが描かれていたこと。母と子、父と子、人と人のすれ違って心が通じない状況。そういうのをどうやって表現すればいいんだろう。そういうところが作画をしていて一番こだわった部分です。

僕はガンダムの良さの中でもメカより「人間ドラマ」にすごくウェイトを置いて見ていたので、制作した人の口から同じ意見が聞けたのがうれしかった。「届いてるよ!」って言いたくなる。長すぎる引用ですみません。