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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

リニューアル


何がコドモかって、何かを企んでる時にそれを隠せないそわそわした仕種がまずコドモなわけですが、えっとねぇー、ラヴフールのリニューアルを検討チュウですよ。つまり第3部!? 第2部の看板娘だったフレッシュちゃん(昔はフレッシュとトラッシュの二人組み)には引退して頂いて、なんと5人の乳キャラクター、もといニュウキャラクターを準備中。


と言っても、さっきそうしようって思ったばっかりなんで、実際カタチになるのはスピードの解散か、早くてもツレプテクーの発売日ぐらいだとは思いますが、全体像というよりはネジみたいな部品をチマチマ作っては、えへー、とか、にまー、とかしているシアワセな時間を過ごしています。なんにせよ、締め切りがないお絵描きってサイコー。第2部がやさしい色合いでちょっと繊細なヒトぶっていたので、原色バリバリのフチドリぎゅっぎゅって感じにしてみようかな。イメージだけどね。


そんな出口のない話しも程々に、最近わたくし「生活必需品」と「まったく無駄なもの」の中間に位置する「あったらあったでそこそこ便利だし、なんか生活のそばに置くだけで気持ちが潤うじゃん」ってものにちょっとラヴ。


まぁ、誰にでもわかるストライクゾーンど真ん中なのは「楽器」なんかがそうなんだけど、微妙に分けて考えたいのは「フェティッシュ」とは違うんだぞーって解釈。


例えば、おいしいお茶を飲むための茶器セットとかエスプレッソ・マッスィーン、様々なお香とか、ちゃぶ台とか、自分にぴったりお似合いの眼鏡、友達がくれた油絵、置物、オーダーメイドの枕、要するにあれだ、お金に戻せない価値(思い入れ)をあらかじめ含んでいて、それをヒトとヒトの間の置くことで更に新しい場ややさしい空気を生めるもの?


そう言った価値観からすると、今の携帯電話とか、パソコンとかの消費サイクルはとてもじゃないけど、そこには行きつく気がしない。コミュニケーションを司るものでありながら味気なく感じるのはそのせいかもしんない。モノが進化して行く過程で「多機能」や「高性能」が謳い文句の時期は、成熟度として起承転結を当てはめると「承」の最初の方だって思うね。ウォークマンを例にしてみると、その存在自体が発明としてニュースだった時が「起」、必要に迫られて、急激にサイズが小さくなり、ガム型充電池やリモコンやドルビーノイズリダクション、重低音のブーストなんかがつき始めたのが「承」、技術的には完成して、頑丈さを謳ったり、本体側の操作ボタンに蓋がついたり、ヘッドフォンの巻き取りやなんかの自己完結性が現われたのが「転」(別にひっくり返ってないですけど、ね)、で、それさえも過ぎて、次世代のフォーマットが現われた時に、もう一度その再利用的価値を問われるのが「結」、音質などのクオリティや高級感はMDに譲って、カセットのお手軽感、チープなかわいさを雑貨的な扱いで昇華したビーンズ・ウォークマンなんかが、ある種行きついた先だと思うわけです。


上に挙げたいくつかのものは、その観点からするとあらゆる可能性を過ぎて、これ以上の進化を特に必要としない「結」の状態であるものと言い換えることもできそう。かなりフェティッシュとも重なるグレーゾーンではあるけど、釣のための様々な道具や、キックボードとかにも含まれる部分はありそう。


消費のための消費にのっかっていくのは疲れたし、かと言ってブランド志向をひた隠しにした一点豪華モノ、一生主義とかもかなり疑わしい。要するにあれだ、毎日コンビニ弁当なんか食べちゃっている僕だけど、なんとなくちっちゃいデザートだけは欠かさないのは、少女趣味とか甘党だからじゃなくて「そうあるべき」だからなんだってこと。ホントは田舎のミカンとかの方がいいんだけどね。端折りすぎか。