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R4(リッジレーサー・タイプ4)

R4 -RIDGE RACER TYPE4- PS one Books

R4 -RIDGE RACER TYPE4- PS one Books

ゲームの歴史の中でも、レースゲームはそのハードの性能が向上するたびにその姿を大きく変えてきました。平面的なコースを鳥瞰しながら、ハンドルを左右に切るだけのもの。後方視点で奥行き感のあるコースを透視図法で描いたもの。そしてポリゴンと呼ばれる多面体を用いて、画面の向こうに完全な3次元のコースとスポーツカーを出現させたもの。


リッジレーサー」以降、レースゲームの主旨は現実のような車の挙動の再現に置かれてきた部分が多いように思います。そこにはリアルな車、景色の表現が不可欠であり、97年に発表され、実車の挙動をすべて再現したとされる「グランツーリスモ」によって一度その頂点を迎えます。


しかしながら、総合芸術としてゲームをとらえなおした時に、性能や機能美以外にも忘れられていた大事な要素があります。それは創作のオリジナリティとも呼べる「演出力」です。


市場自体の歴史がまだ20数年というゲーム業界は、その飛躍的な進化に対して演出面でまだまだ未開拓な部分が多く、特に映画やマンガからの模倣は目に余るものがあります。本来特異で独自の演出を目指せるはずのゲームが他の文化から一段も二段も低く思われているのは、そこに左右されているところも少なくはないでしょう。


例えば名作「リッジレーサー」を取ってしても、そこに描かれるのは原色のスポーツカー、おきまりの水着美女、椰子の木の並ぶ海沿いのリゾート地、そしてけばけばしもけたたましいユーロビート。まるで漫画家は必ずベレー帽をかぶっていると言わんばかりの演出です。演出と言うよりはもう固定観念と言った方がいいのかも知れない。(そして当時はそれで充分な部分もあったのでしょう)でも技術力の進化が横並びに近付いている今、そう言うことだけでは間に合わない時代になってきたんじゃないかと僕は思うのです。


時代は1999年です。誰が何と言おうと世紀末。大事なことは何かが起こる前に全てすましておきたい今日この頃。しかしやったよ。僕は感激しました。この「R4」が登場して、僕の言わんとしていることをかなりのパーセンテージで形に変えてくれる人たちが現れたじゃないですか。


朝焼けの冷たく湿った空気、夕暮れの柔らかな色合い。夜のブルーの奥行き。そこを無数に流れていくテールランプの赤い残像。有機的なボンネットを這う映り込み。そう、このゲームには今までのレースゲームになかった質感があるのです。石畳にはヨーロッパの歴史を。街灯は絶対水銀灯じゃないタングステンの暖かみを持っているし、雲のない晴れた空にさえ、季節の風を感じるじゃないですか。


随所に挿入されるイラストは色数をぐっと抑え、味がある。音楽は物静かで理知的な感じさえただようクールなトランス、コースデザインも初めての人も充分その爽快感が伝わるゆったりとした無理のない構成になっている。もう技術力の暴力で押し倒すような時代は終わったんだなぁとしみじみするね、僕なんか。ただただお腹が空いてて、何かをとにかく放り込みたかったっていう飢餓感は過ぎて、なんか口寂しい時に手にするおいしいカプチーノだとか、手焼きのクッキーだとかの味わい。


人によってはレースゲーム的な売りの少ない地味なゲーム、あるいはマニアにとっては「リッジレーサー」シリーズなのに、簡単すぎて張り合いがないって人もいるらしい。でも僕はこのゲームを以て、ゲーム表現の新しいステージがやっと始まるんだと思った。何ができるかではなく、どうしたいか。新素材の発表会じゃない、デザインやコーディネイトの力によるショー。思えば、ゲームに限らず名作と呼ばれる作品ほど、ありきたりな素材をどう調理するかっていう工夫を大事にしていたように思うのです。そのための発明であり、そのための技術進化でありたい。朝焼けのコースを走りながら、そんなことを考えました。お試しあれ。