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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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旅の終わり。

takanabe1999-01-11



日曜日の朝「ゼルダの伝説」が終わった。僕は悪を倒し、ゼルダ姫に礼を言われ、ハイラルという世界に平和が訪れた。半月の間のめくるめく体験。そう、この旅は「体験」だったんだなと思った。


二十歳を過ぎてから僕がちゃんと解いたゲームは「スーパーマリオ64」とこの「ゼルダ」の2本だけだった。クリアしたゲームってだけなら、20本ぐらいはあるかも知れない。でもそんなの義務感だった。最後まで知り尽くしたくてやったのはこの2本だって言った方がいいのかも知れない。


「なぜゲームをするか」と聞かれれば、そこに明確な答えはない。だってゲームなんかなくたって楽しい人生は送れるし、現実世界で日々やんなきゃならないことも山のようにある。仕事も一生懸命だし、好きな人にだって会いたいし、時には難しい本だって読みたいし、寝る暇だって欲しいじゃん。でも僕はゲームをする。多分それが、大のオトナが長時間の労力をかけた想像の産物であり、夢を具現化したものとして、映画やテレビや絵画や音楽より、ノイズが少ないメディアだからなんじゃないかと思う。またユーザーが積極的に参加することで初めて完成することができるという脆弱な部分が、ロマンティックであるからだとも思う。


このゲームの主人公「リンク」になって、丘の上を駆けてゆく。空の端が白んで夜が明けてゆく。オカリナで呼んだ幼なじみの馬に飛び乗る。宝石の隠れた草を刈る。


ボスを倒したから世界が平和になる。そんな常套句で「おしまい」と簡単に本を閉じられるほど、僕がその世界で感じた手応えは一過性のものじゃないのだ。手が覚えている。目の奥に焼きついてる。耳の中で繰り返されている。その体験の数々。


繰り返しゲームが必要かと言われれば、それでも答えはノーだろう。だけど僕はたくさんの時間をゲームに割いてゆく。オトナの放つ脆弱なロマンティックをいつも真剣に受け止めたいからだと思う。その感覚をはっきりと認識させてくれたのが、この半月の旅でした。日記でも付けりゃあよかった。どうもありがとう。また近いうちに訪れます。