「新しくいろんなひとに知り合う度にあなたのやさしさに気づく」
と、深夜の電話口で言われて真っ赤になるほど照れた。その娘は僕のことなんか全然好きにもなりそうにないタイプの、活発で賢く感覚の鋭い女の子だった。1年前ひょんなことで知り合って、なんとなくつかず離れずの距離にいる。そして同じその日の内に
「あなたはどこかがずっと腐っている」
と言われて、さらにショックを受けた。別にひどいことを言いあったわけではなくて、仕事で追われて先送りにしていた未来の話しをしていたら、すっと水底まで彼女に見透かされてしまったんだ。多分僕は何かを迂回するようにするようにいいわけじみたことを言い続けていたんだろう。それをすっかり悟られてしまっていた。僕は普段は怒ったりなんかしないコイビトにたしなめられるような気持ちになって、なんか小さな愛情のようなものを感じた。
1年前の彼女はもっと自分の感情ばかりをむき出しにしたハリネズミのように臆病な生き物だった。身体にいくつも空けたピアス、長い指先からこぼれる煙草の灰、赤く染めた髪、継ぎ合わせたジーンズ。口から出る言葉と言えば「入れ墨」や「クスリ」や「血のつながり」や「死」とかそう言ったものばかりで、そもそもなんでそんな彼女が僕に関心を抱いたのかさえわからなかったが、話してみてなるほど、新しいモノやコトを前にして自分の定規で計り始めるときの姿勢や角度が確かにどこか似ているのだった。
「でも、あなたと寝ることは一生ないと思う」
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「今、何をしたいの?」と彼女は言った。時計は3時を回っている。
「逃げ出したいよ」と僕は言った。
「おいしいものとか、食べに行こうか」
「いや、そんなんじゃない」
「どうしたらいいかな」
「温泉、かな」
そう言って、つい笑ってしまった。でも彼女は笑わなかった。
「温泉に行ったら、治る?」
「‥どうだろう」子供じみたことを言った自分を恥ずかしく思った。
「でも、考えてそう」
「うん?」
「遠くに行っても、その心配事が離れなくて、ずっと抱えてそう」
僕は天井ずり下がってくるような気持ちになった。過去と未来の時間の固まりとかそういう重みで。一瞬に目の前でたくさんのものがぶつかって、砕けては消えた。
「‥そんなことまでわかる?」
「わかるよ」
「なんか出会った頃とは別人みたい」
「そう?」
「もっとなんかとげとげしてたよ」
「今は違う?」
「やさしくなったと思う。魅力的になったのかな」
彼女は笑ってる。
「遠くで暮らそっか」
自棄になってそんな困ったことを言い出してみる。
「遠くって?」
「すごくすごくすごく遠く。長い冬のために農耕とかするね、僕」
「私は?」
「猟師、血塗れのウサギとかぶらぶらさせて帰ってくんの」
「あー、猟師いいな」
「で、僕は心配症なんで、冬の支度で気が立っているわけ。馬鹿! そんなんじゃ冬は越えられない!とかゆっちゃって」
「あ、でもダメだ」
「ん?」
「私、舞子になるんだもん」
「いいじゃん、舞子で猟師。強そうだし」
「陶芸家とかでもいいよ」
「なんか急に普通の幸せになったね」
「飛んでないか」
「別に飛ばなくたって幸せならいいんだけど、もう」
「もうって、何よ」
「ん、若くないからさ」
「あー、最低。飛べばいいのに」
「じゃあ、飛ぶための梯子とかつくるね、トンカチでこつこつ」
「梯子なんかじゃダメ、全然ダメ」
「ダメかな」
「ダメ。ヘリよ、ヘリ!」
僕は笑った。
「羽根とかジェットじゃないんだ」
「ヘリ! ひとんちのヘリかっさらって飛ぼうよ」
彼女と話していると自分がいかに大事な時期をただ呆然と生きてきたかがわかる。年をとったと実感するのは体力や気力の衰えではなく、むしろその輝きをまぶしくみつめ、応援してあげたくなる気持ちがわき上がる時のことなのかも知れない。
「ねぇ、一緒に何かつくってくれる?」
「僕と?」
「感覚が合う人とちゃんとしたモノをつくりたいの」
「感覚が合う人‥」
「え、あれ、合わない? 合わないかな」
「‥僕にはよくわからない。でも、モノをつくるのは楽しいよね」
「じゃあ、やろう」
彼女にしてみれば、またいつものきまぐれのひとつにすぎないんだろう。でも僕はうれしかった。何かを生むのはとても楽しい。そしてそれを分かち合う人がいるのはなおすばらしい。
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そのうち何かが生まれる告知があるかもしれません。期待しないで覚えといて。