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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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未完成であること。


10代の頃、コイビトに「カンペキだ」と言ったことがあった。だってそう思ったから。コイビトは笑って「カンペキなんて人はどこにもいない」と言った。僕はその未完成さを以て、君のカンペキさは完成されているんだというような割とややこしいことを言った。ややこしいことを言うときは自分がよくわかってないときです。


そして僕はオトナになって「カンペキ」なんてことをあまり言わなくなってしまった。それがいいことなのか悪いことなのかは今後の人生でゆっくり考えるとして、最近は「未完成」なものに惹かれることが多い。


例えとして工業デザインの話をするなら「すべてのプロダクツ(製品)はその究極を目指す」って命題があると思うんですよ。とにかく速い飛行機とか、狂わない正確な時計とか、何度でも再利用できるビール瓶とか、小さくていい音のするポータブル・オーディオとかね。


でも究極をすべて達成できなくても、大抵のモノならもう満足できちゃう時代になってる。少なくとも何でもかんでも詰まった万能優等生みたいのはもう食傷気味。使うシーンによってほどほどのスペックというのが自分で計れるだけバリエーションがちゃんとあったりする。


欲しいモノを思い浮かべてみて、それが今家にあるモノのバージョンアップ版じゃないモノってほとんどない。テープがCDになりMDになるくらいの変化は究極へのベクトルと言うよりはバリエーションのひとつという受け取り方の方が適しているかも知れない。


で、そうした混迷の時代の中でキラリと光って見せられるのは、意味に埋もれていない新しい価値観だと思うわけです。つまり最大公約数的な欲求をすくいあげるのではなく、インディーズシーンから溢れ出してくるとがった感性を多少未整理たりともちゃんと土俵にのせてみること。そしてそれが結果的に今までのブランドイメージを壊してしまい、会社を成り立たせていたコアなユーザーの信頼を失ってしまうことになっても、新しさの方を優先したいね。特に不景気で内省的になりがちな時はね。


僕の周りでは今「カルビマック」が最高に不評。でも僕は初めて「カルビマック」と聞いたときに想像した味そのままだったので特に不満はなかった。ところが彼らが文句を言っているのは直接的なその味のことだけじゃないんだ。あんなに消化不良なアイディアを商品化したマクドナルドの気が知れない。マクドナルドびいきなのにどうしてあんな飛び道具に走ったんだろう。今までのマックの商品だけじゃどうしていけないんだろう。(昔はよかった、みたいな)。


たまたまマックつながりだけど、これってiMacの言われようとよく似てる。あんなの「マックじゃない」とか「部屋に置きたくない」とかね。まるでアップルのコンピューターはiMacしかなくなったみたいな言い方。いやなら他のを買えばいいじゃんよ。


つまりもう究極を目指さなくてもいい今日という時代は、思想ですら無数にあって、そん中ではぐくむ独自の組み合わせ方に個性や魅力を含めていくべきなんじゃないだろうか。与えられた中で遊ぶんじゃなくて、あらかじめ未完成な素材として集めたモノを自分なりの完成に近づけていく。


これは全然新しい考え方だとは思わないけど、モノに対するイメージを「与えられる」側から「カスタイマイズ」する側になるってことだけで、町に溢れるモノの見え方は変わってくはずだと思う。「マツモトキヨシ」のヒットとかね、絶対「自分カスタマイズ」。「プラグイン感覚」って言ってもいい。確かに女の子の方がそういう変化について節操ないというか、柔軟な部分があるよね。


ゲームの世界ではそろそろそういうシフトが始まっていて、来年あたりから今までみたいなおんなじ本をみんなで読むようなモノから、同じストーリーは世界にふたつとないというモノに変わっていくでしょう。ちなみにそれは「マルチエンディング」とかではなくて、小さな仕組みを組み合わせた「万華鏡」のようなプログラムになるはず。そういう部分のシンプルさを持って新しい時代の「カンペキ」さと呼びたいな。