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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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シーガルのライブ


10月26日に渋谷のクラブクアトロで行われたシーガル・スクリーミング・キス・ハー・キス・ハーのライブに行ってきました。最前列、ど真ん中。ダイブの連中に頭を何度も蹴られながら、眼鏡もひんまがったりしたけど、なんとか生きて帰って来れたよ。とにかくすんごいライブだった。


シーガルのことを話そうとすると、Vo.&G.の日暮愛葉の放つ圧倒的な優位性のことばかりになってしまう。SMのような種類のコミュニケーション。0対100の「与えられる」←→「与える」っていう絶対的な構図。そんでそういう中でしか生まれない特殊な緊張感とそれに伴う強い快感。


今回もその認識を深めたのが一番だったな。シーガルのメンバーってステージに上がっても全然笑わない。例えば、お客に向かって「ありがとう」なんて絶対言わない。小休止も兼ねて、ほどよくMCで盛り上げたりすることがあっても「ま、和やかなトークもここまでっちゅうことや」なんて、話題を途中で切り上げたりして、わざと僕らを置いてけぼりにしたりする。でもそんな意地悪な人たちについていきたくて仕方がなくなる。彼女たちの作るグルーヴにはまったくをもって甘えがない。完璧な快感が常に約束されてる。そこに用意されているごちそうに向かって「わー」って群がって行くと「お前らと同じ地面に立ってるなんて思ってくれるなよな」みたいな態度で突き返される。「あんた達が気持ちいいのはこれだろ? これが欲しいんだろ?」そして崖から突き落とされる。真っ白いミニのワンピースと針のようにとがった金色のピンヒールの先で。そしてうなりをあげるのはたくさんのバラの描かれた真っ赤なファズギター。仁王立ちの彼女を舐めるきらめく虹色のライトワーク。これがSMじゃなきゃなんだってんだ。僕は瞬きもできずに冷たく固いフェンス越しの愛葉にただただ手を伸ばす。


アルバムを聴くと、案外スタジオミュージシャンなんじゃないかと思う部分もある。音響芸術的な緊張感は一見すると生演奏で再現不可能だ。でも違った。大傑作アルバム「17」の曲は無理なアレンジのひとつもなく、そこでおんなじように「演奏」されていた。機械のようなベースとリズムのループも、即興や、多重録音にしか思えなかったギターの「ハウリング」や「ノイズ」まで。気を許していい場所なんてホント針の先ほどもない。もう感動はもちろん恐怖も通り越して鳥肌さえ立たない。日々の怠惰な自分を「許して」って跪きたくなるような、強さ、美しさ、気高さ。


「表現」というのは「コミュニケーション」のひとつで、僕のとっては愛のカタチだったりすんだけど、突き放して突き放して、それでもやっぱり完璧な快感を約束してくれる愛葉の表現なんて、きっと誰にも真似ができないし、誰よりも自分に厳しく生きてるひとの証だと思う。