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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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F-ZERO X(ニンテンドウ64)

takanabe1998-09-28



無人島に行くとして、そのとき何故かテレビゲームをひとつだけ持っていけるとしたら何を持っていく? 「テトリス」?「不思議のダンジョン」?、それとも「ポケットモンスター」? 程度の差こそあれ、大抵の人が繰り返しやっても飽きないことを重視したチョイスになるんじゃないだろうか。派手なオープニングムービーや、ポリゴン数や、壮大なスケール感より、操作感の確かさやそれに伴う充実感を欲するはずだと思う


最初からこんないいわけじみた書き出しをしたのは、他でもなくこのゲームの見た目が「しょぼい」からだ。画面を取り込んだ雑誌の記事の静止画を見て「お!」って思える人はよっぽどの前作のマニアか、純粋なレースゲームきちがいか、クソゲー発掘家ってとこだろう。


唄い文句としては「体感速度1500キロを超える、音よりも速いレーシングゲーム」であり、3次元的に作り込まれたトリッキーなコース、30台にも及ぶレーシングマシンの確執、そして操作感をより反射速度に近づけるための「秒間60フレーム描画」って、なんだかすごそうな文字が並んでたモノだ。ちょっと騙されてもいいかなって気になる人がいてもおかしくないような感じだよね。だけど、どこをどうやり込んでみても、スクロールスピードが速いくらいの利点以外、普通にプレイしているひとには魅力がいまひとつ伝わってこないのだ。だけどしばらく我慢すると、この見た目のしょぼさによって半ば殺されていた魅力がじわじわとわかってきたじゃないですか。


それは一言にまとめると「同じレースは二度とやってこない」と言うこと。


ニンテンドウ64には最初からアナログ・コントローラーがついている。これは今までのオン/オフと言うスイッチとは異なり、手の微妙な動きをそのまま画面の向こうに伝えるインターフェイスだ。


レースの緊張感が単に見た目上や体感上の「速さ」だけなら、60フレーム描画など全く必要がないのだ、と開発者は言う。体に覚え込ませたイメージを100%レース上で再現できるかどうか、そしてそのレスポンスをより人間の反射速度に近づけること。それがこのゲームの命題であり、すなわち「恒久性」なわけだ。無限加速とも感じられる1500キロ近いスピードの中で、一瞬でも判断を誤ればそれは死を意味する。機体が浮きコースを外れ、奈落の底へ落ちていく。機体は炎上し再試合。ガードレールがない場所では他のマシンに少しふれただけでも大きくコースを反れ、同じく落ちてしまう危険もある。幾度と無く慣れ親しんだはずのカーブでさえも、ちょっとした体調の違いで大きく減速したり、スリップぎりぎりで切り抜けたりする。タイムカウントに至っては小数点以下2桁まで記されている。0.08秒差で2位に転落とか全然当たり前。その緊張感がすばらしい。寝そべってゲームなんかとてもじゃないが出来やしない、正座ですよ、正座。汗だらだら。


その緊張感を実現するために極限まで削り捨てたマシンや背景の重いグラフィック処理。何年前かわからないくらい古くさいイメージと、小学生の紙工作を並べたような立体に見えてしまっても「現在」を相手にしていない表現者である彼らには全く問題がないのだ。それはこのゲームにしかできない目標をすべて達成し切れたという自信がなせる技だ。どんなに地味でしょぼく見えてしまっても、このゲームで起こる感覚を他のゲーム機で真似することなんかできない。それくらい一点に極限集中した表現だ。


そしてこのゲームは単体としての「恒久性」についてもぬかりない。このゲームを最後までクリアすると、プレイする度に設計が変わる裏コースが表れるという、それもちゃんと3次元で。レースゲームフリークだったら、もう一生このゲームの中から出てこれないかも知れない不安さえある。しかも来年にはコースとマシンを拡張し、なおかつ製品版と同じクオリティでプレイヤーがコースを設計できるソフトも発表すると言う。使い捨ての派手さにそろそろうんざりし始めた賢い消費者だったら、無人島に何を持って行くべきかもうわかってきたよね?