lovefool

たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

  ラヴフール(www.lovefool.jp) 

貯金と負債

takanabe2005-11-04



一時帰国の際に夏服を持って帰って、代わりに冬服を持ってきたけど、気がついたらなんかもう部屋のタンスに収まる量を超えていて、おいおいあと何年ここで暮らすつもりだよと思った。例えば靴は3足、パンツは5本ある。上着の類も4着。週に2回洗濯をしても全然さばき切れない&干す場所がない。人生に本当に必要なものは限られているとか、コンパクトに生きたいとか思っても、半年も経たずに自分で管理できる量をオーバーしてる。なんだってそうだ。


昔、アンパンマン主任と「農耕民族と贅沢」の話になった。なーんで狩猟だけじゃなくて、そうなっちゃったんだろうねって思ったときに、やっぱ明日の生活が不安だから先回りして備蓄したくなったんだろうって結論になった。明日の不安が減るほど、今日の心配事も減って、その分、幸せっていう論法だ。でも実際には今日を生きるために必要なもの以外は、すべて余剰で贅沢だ。僕らは明日の生活がどうなるか分からないリスクを回避するために、いろんなものを自分の手に届く範囲に備蓄する。でも実際に全てを消費する日はやってこない。備蓄はむしろ徐々に増えて行く。食料、衣類、文化的なもの、その代替物である貯金も。必要以上に増えないのは睡眠ぐらいのものかも。性欲だってストックの仕方がありそうな気がする。


「必要最低限」の暮らしっていうのは、けっこうどこでもカンタンに実現ができるけど、すぐにそれには飽き足りなくなって、「程よく快適」ってのを大抵の人は目指す。でもそのグレーゾーンが実際の感覚より、すんげー大きく横たわっていて、人によっては収入とそのバランスが取れなくなって、生活サイクルがおかしくなったりする。ローンを組んでいる人なんかを見ると本末転倒だなーと常々思う。


そういう意味では備蓄っていうのは「未来への幸せ貯金」であるように見えて、同じだけ「部分的な現在への負債」でもある。維持コストが掛かってないように見えても、それらは現在の何かを確実に圧迫している。何だかんだ言っても、生活は身軽に越したことはないんだなーと、すんげー散らかった部屋を片付けながら思うのだった。


そもそも消費が快楽ってのはどっから来た気持ちなんだろう。必要なものより、あったほうがうれしいものを買ってるとき、昨日よりちょっとだけグレードが高いものを手にした時、使ってるときのほうが100倍気持ちがいいもんなぁ。スターバックスとかゲームボーイミクロ、コンビニの高めのデザートなんかはその辺にすごい訴えかけてる気がするねぇ。iPodも最初の1台目じゃなくて、実際持ってて新製品が出たときの気持ちとか、近いね。要らないのに、すごく欲しい。なくてもいいのになんか不安。変なの。