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CD「RE:SUPERCAR 1 -redesigned by nakamura koji-」スーパーカー

RE:SUPERCAR 1
RE:SUPERCAR 1
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スーパーカー
KRE (2011-04-20)
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僕がスーパーカーをどのくらい好きかというと、その説明にはたぶん24時間じゃ足りないくらいの想いがあります。主要なライブにはほとんど行きましたし、気分的には5人目のメンバーと言ってもいいくらい、僕の人生に寄り添っていた存在でした。だから解散の話を聞いたときには、ひとつの時代が終わったような気になりましたし、長年連れ添った恋人と別れたようなそんな喪失感がありました。僕のモラトリアムは常にスーパーカーと共にあったし、スーパーカーの解散と共に終わったのだとも言えます。


このアルバムはほとんどすべての曲を書いているナカコーが、当時の音源を使って、今の技術と経験を踏まえて、部分的に音を入れ替え、再構築したものです。これがなんと言うか、ものすごく不思議な感触の仕上がりです。REMAKEやREMIXとも違うし、破壊でもない。タイトル通り10年越しの返答であり、今のナカコーによるREDESIGNなんだということがよくわかります。アニメの世界でもΖガンダムの映画は、過去のフィルムを新しいフィルムと混ぜて再構成したり、エヴァンゲリオンは同じ絵コンテから新しいフィルムを起こしなおしたりして、新たな別の意味と解釈を生んだりしています。そういうのに近い。オリジナルに想いがあればあるほど、それは不思議な距離感を生みます。


スーパーカーと言えば、僕に限らず、デビュー当時から「青春」のイメージを被せられていて、それが当時の僕ら世代の「まだ名前のなかったモラトリアム気分」を代弁してくれていたという「同世代感」が外せないと思うんです。でもナカコーにはもともとそんな思いは一切ないことが、このアルバムを聞くと改めてわかります。元々詞には重点置いてないナカコーですし、詞を担当しているジュンジとは、あまりいい別れ方をしていない解散ですので、意図的なのかどうなのかはわからないにせよ、スーパーカーの曲が持っていた「ドラマ性」「ストーリー性」みたいなものは徹底的に排除され、ナカコーが過去のバンドサウンドというものを、単におもしろい音素材としてだけ見直してポンと置いた、そんなサウンドに仕上がっています。感情や懐かしみを拒む、ただ音として磨かれなおしたつるりとした石のような、15曲です。噛み砕けないし、飲み込めない。でもそれは無視できない青春の日々から作られた最新の石達です。


ドラマ性の欠如というのは、初期ラインナップから外せないはずの叙情的なタイトル「PLANET」が入っていないことからも想像できます。


例えて言うと、10年前に交わしたお互いの手紙(ラブレター)を、その恋人にそっくりなロボットが何の感情もなく読み直しているのを聞かせられる感じ。それを聞いている僕は、泣くわけでもなく、怒るわけでもなく、失望するわけでもなく、なんとも言えない気持ちでぐるぐるぐるぐるして、喉がカラカラになってその場から動けなくなります。罰ゲームのようにも思うし、いや、あの恋は単なるあなたの思い違いだよ、と言われている気もするし、それでも残る何らかの気持ちに名前がつけられずに、音の中に意味や価値を探そうとしてしまいます。


アルバムジャケットには、そんな僕の禅問答を見透かすかのように、景色に浮かぶ鏡のようなものが描かれており「これらの音に何を感じ何を投影しようともあなた次第ですよ」「そこに映っているのはあなた自身ですよ」と言われている気にもなります。後ろ向きでも前向きでもない、ただ異質で美しい音の息吹は、前文明からのタイムカプセルのようで、2011年の僕を激しく混乱させたのでした。



「低い所に仕事は流れる」を書き写すとき、ふと思い出した河合隼雄の言葉。この言葉は、永江朗「話を聞く技術! 」の中にあり、「相手の話を聞くために何が必要か」ということを語ったもの。相手よりも下にいないと流れてこない。

http://takaakik.tumblr.com/post/4928773856

盲人や聾者を「ショーーガイ者」と呼んでいると、彼らは本当に“障害者”になってしまうのである。 心理学ではこれはすでに有名な現象であるらしい。通称「ステレオタイプ効果」ってやつだ。

http://dotnuke.tumblr.com/post/4926441783