爽やかでピュアな恋愛を軸にした今までの作品群とは打って変わり、戦時下の女学生たちの極限状態の日々を描きます。
代表作「センネン画報」の裏面、だと作者自身が言っている通り、観念や心象で描かれた現実と境目のない美しい妄想とは真逆の、直視せざるを得ない現実でのどん詰まり感、その中での逃げ場として機能する美しい妄想(心象風景)という構造になっています。そういう意味では映画「ダンサーインザダーク」にも似ています。
モチーフは「ひめゆりの塔」なんでしょうね。僕も小学生の頃、読んでしばらく呆然としていた覚えがあります。「戦争」も「戦死」も日々の生活からはものすごい遠いところにあって、どんなレポートを読んでもはっきりとした像を結ばないのだけれども、今日マチ子が選んだ手法は「像を結ばないこと」をそのまま描くということでした。敵にも味方にも、兵士としての人間には顔がなく、あたかも「そこにいない」かのように振舞うことで、ぎりぎりの自我を保つという方法です。これは「現実を直視しない」「自分が見たくないものには人権がない」という二重の意味で怖いです。
そしてその方法について、きっと実体験があるんだろうなと思って読み進めていたんですが、案の定、作者本人の女子校体験にあることがわかります。自らの純潔を突き詰めるあまり、男性がこの世にいないかのように過ごした時期があるんだそうです。
この物語の中で、主人公の「まゆ」を引っ張っていく存在の本性がわかったとき、結局のところ「自分に都合のいい形で敵に認められたいんだな」という、人格形成の深いところに触れてしまった気がして、それは僕にとっての未知の領域であり続ける「女性性」が、「戦争」や「戦死」と同じぐらい遠くてあやふやな存在であることに気付かされた作品でした。リアルさというのは結局のところ実体験にしか宿らないのだと思います。
トラウマに向かい合うこと、未知の領域に踏み込むことは、作り手でなくともなかなか難しいことで、それを作品という形に落としこみながら、今自分が持っている武器(表現方法)でなんとか戦おうとするその姿は、とても立派だと思います。