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たかなべが、ゲームやそれ以外の関心事を紹介します。

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夜と朝について

takanabe2010-04-18



否応なく誰かの人生について踏み込んで考えざるを得ない仕事をしている。それも毎日違う人の事を。その人たちとは知り合いではないし、直接の会話もない、でも踏み込まされてしまう。たった数10分とかなのに。


人生を踏み外したと感じる出来事において、後から思えば、その布石や予兆のようなものはいくつも自覚出来ていたはずのことも、決定的な表出をした時には、とっくに引き返せないほどの借金に取り囲まれている。いつでも引き返せるぐらいの小額の借金も、長年積み重なって全然首が回らなくなっている。つまり魔が差したとか、ものの弾みで、というのは気持ちの上ではそう言うしかないのだとしても、実際にはチキンレースを続けた先の最後のダメ出し、決定打に過ぎないことがわかる。


そういうことに他人として溜息をつくのは簡単で、「がんばってこれからの自分で巻き返せ」なんて言うのは無責任で、更生を諦めて去っていく近しい人たちの気持ちも分かるし、去っていくことに絶望して自分で自分をさらに追い込んでしまう人たちの気持ちも分かる。分かり合えないけど、分かって欲しい。目的だけは近かったはずで、でもそれがお互い無理だからと隠れて積み重ねた小さなズレがやがて2度と戻れないぐらいの断裂を産んでしまう。


人の気持ちになるのは不可能で、それでも分かり合いたい人がいて、上手くいかないことが多いから、生きていても仕方がないだとか、自分はここにいないほうがいいんだとかうそぶいたりする。でもホントは、ストレスなく誰とも分かり合えたらいいはずで。昨日より少しはましになってる自分とその世界を手に入れるために、つらく長い夜を何度も越えてゆく。朝とともにやってくる現実になんとか立ち向かおうとする。それによって保証されるいい結果なんて何一つないし、場合によっては悪化しちゃうかもだけど、自分が期待するだけの価値に費やした時間に、自分の寂しさが忙殺されるぐらいの毎日で丁度いいんだと思う。

脚本家の人は携帯電話のシステムについて精通している必要性は全くありません。ですが、携帯電話を持ったことで「人間の生活がどう変わったか」については知っている必要があるわけです。

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